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日蓮大聖人・池田大作

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真の平和社会へ  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
5  戦争のない世界での真の平和社会という構想は、長期にわたる労作業の過程としてのみ想定しうるものです。社会は、問題が解決できそうにない場合や、あまりに戦利品が魅惑的な場合には好んで戦争を起こしたがるものです。しかし、今日の抗争ばかりしている社会は、近代兵器庫への投資によって安全保障が実現でき、煩雑な軍縮協定という錬金術が平和を呼び起こさせるのだという妄想に、いまだに駆られているのです。このような社会が真に平和になるには、奥深い文化的成熟を経験しなければなりません。その結果として生まれる新たな社会は、おそらく、あたかも一匹の毛虫がまゆに保護されたさなぎへと変身し、さらに蝶となって現れるあの変容の過程、つまり、各段階がつぎの段階に備えてすでにその特徴を含んでいるあの過程にも似た、ある種の内的進化によって、古い社会から生まれ出なければならないでしょう。こうした進化への主要な触媒となるものは、おそらく人びとがいまそこからゆっくりと脱出しつつある奈落について自らがいだく認識でしょう。やがて振り返ってみるとき、われわれは皆、いかにこの世界がこの何十年間というもの狂気の沙汰でありえたのか、つまり、世界の命運を究極的破壊兵器にゆだね、最優秀の頭脳を求めてはそれらの兵器を完全無欠にし、人類の大量殺戮を間違いないものにするほど狂気でありえたのかと、いぶかしがることでしょう。
6  力ある現代の人類がめざめて、自らがもつ力はそのあまりの圧倒的規模のゆえに、もはや戦争のために使うことはできないと悟るとき、新しい時代の夜明けが初めて訪れることでしょう。このときこそ人類は、たんに生き残るだけのためにも、否が応でも平和を愛し、平和裏に生きざるをえなくなるでしょう。戦争をなんとなく便利なもの、愛国的なものとしてカムフラージュすることは、もはやまったく不可能となり、世界の平和が、一片の疑いもない絶対的要請として現出することでしょう。

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