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日蓮大聖人・池田大作

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諸能力の開発  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
3  人間開発(ヒューマン・デベロップメント)は、人類学上の広い意味からいっても、この新しい時代の最も基本的な絶対的要請として現れつつあります。たとえ“開発”という語に“人間”という形容詞がしばしば付されているにせよ、人間開発に含まれる文化的振興とか人間の全人格的向上とかの概念自体が、すでに現在の世間一般で通用している“開発”の概念よりも広義で、意欲的なものなのです。開発という目的を想起させる概念は、通常は人類の需要とその充足という概念に結びついたものであり、したがって本質的に功利主義的な性格を帯びています。今日の世界において、需要本位で民衆を基礎とした開発が優先されていることは、理解できることです。なぜなら、開発という概念は、各国の不遇な階層や、いわゆるすべての国際的プロレタリア階級が、よりよい生活とより公平な社会の実現を求めて繰り広げる闘争から導き出されたものだからです。文化的開発を展望するためには、人類の苦境のさまざまな側面への、より洞察力に満ちた、より平静な分析が必要であり、したがって、この文化的開発は必要不可欠なのですが、もしわれわれが最終的に、貧困者層をより厚く優遇する開発を達成しようとするのであれば、それははるかに困難なものとなります。
4  私は、実質的には、あらゆる面にわたる人類の潜在力の開発こそが、人類社会の進歩の基礎をなすものと考えています。これこそは、やがて時を経るとともに、経済開発もしくは社会・経済開発と呼ばれているものを助けもし、また、経済活動に対して将来必要となる、生態学上の礎をもたらしうるものです。事実、われわれは、自らを文化的に開発することによってのみ、環境との関係を健全かつ永続的な基盤の上に再確立することが──それは長期的にみれば経済的にも報われることなのですが──いかに不可欠であるかを、真に理解できるのです。一方、人類がいま一般に追い求めている経済開発という名の追求は、あまりにも環境への配慮に欠けることが多く、そのため環境を再生するための代価を、将来の勘定に回しているのです。
5  その他の、倫理・政治・心理的な類の理由からも、われわれは、総体的な人間開発へ向けて努力するよう迫られています。なかでも、おそらく最も重要なのは、この人間開発だけが、人間の営みの遂行に積極的役割を担うという刺激的な挑戦をなし、それがもたらす充足感を多くの人びとに提供することができるということです。それによって、われわれは、共通の利益に貢献しながら、自らの社会的環境の中で人格を表現できるようになるでしょう。
 人びと自体が未開発のままであれば経済・社会・技術・制度面のいかなる開発も、不可能であり無意味であることは明々白々たる事実であり、したがって均衡のよくとれた文化的開発こそが、他のあらゆる種類の開発の前提となります。もしわれわれが、もろもろの物質革命の暴走的な進行に歯止めをかけ、それらを支配し、互いに調和させ、選ばれた目的へと導くことをめざすのであれば、われわれ自身の資質の向上を基盤とした全面的な“人間革命”が、いまこそ必要不可欠です。

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