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日蓮大聖人・池田大作

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九識論と十界論  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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4  もう一つの、十界論は、生命の感ずる幸福・不幸の内容によって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十種に立て分けたものです。最も深く重い苦悩にとらわれた状態が地獄であるのに対し、最も自由で幸福な状態が仏であるといえますが、ただし、これらは単純に一直線に並ぶわけではありません。つまり、そこに、さきの九識論との関係があるのです。
 地獄界から天界までは、外界とのかかわりの中で幸福や不幸を感ずる生命の状態を分類したものです。したがって、そこで現れている識は第六の意識までです。それに対して、外界からの縁によって左右されることのない自我の主体性を確立しようとするのが声聞・縁覚・菩薩であり、それを完璧に実現したのが仏です。外界からの縁にのみ束縛されないためには、マナ識を発現できるようにならなければなりませんが、しかし、それだけでは不十分です。なぜなら、アーラヤ識に含まれるさらに深い力によって束縛されているからです。
 このアーラヤ識に含まれる深い衝動の力や宿命的な力を克服できるには、そこに、そうした醜い力に対抗できる善なる力を確立しなければならないとの考え方から、善の行為を積み重ねようというのが菩薩の実践です。しかし、すでに蓄積されている悪の力は、遠い過去からつづいている膨大なもので、それに対抗できるだけの善なる力を蓄えるには、また大変な長い期間を要します。仏教に説かれる菩薩の修行が、何万回もの生死を経て持続されなければならないとされるのは、このためです。
5  それに対し、最も本源のアマラ識を直接に発現することによって、現実の人生と行動の中に、外界にも縛られず、内なる衝動にも支配されない主体性を確立した人を、仏と呼んでいます。仏教の中でも、アーラヤ識の次元での変革の方途を教えたものもあれば、アマラ識の直接の開発を教えたものもあります。後者を教えているのが法華経であり、前者を教えたのが法華経以外の経典です。私は、法華経の実践法のみが、現実的な人間変革の方法であると信じています。
 以上が仏教で説く人間革命の最も基本的な考え方ですが、もちろん、これだけで十分であるというわけではありません。たとえていえば、こうした生命の奥底の変革は、土壌を肥沃にする作業のようなものです。そこにどのような作物を植え、育てるかは、具体的に社会の中で、現実生活をとおして実現されていく変革がそれにあたります。

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