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日蓮大聖人・池田大作

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七、伝達手段と心の交流  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
5  池田 私が提起した問題は、交通・通信手段の発達によって、人間同士の世界的な交流の可能性が開かれているのに、国家主義の壁がそれを妨げているという点でした。しかし、あなたは、さらに根底的に、とくに通信手段が、権力者や圧力団体の大衆に対する一方的話しかけ──端的にいえば大衆操作──のために使われていることを指摘されました。そして、組織をもたない大衆、個性のない都市、無力化した家庭が、権力を求める人間の絶好の餌食とされてしまう危険性を明らかにされました。
 かつて、新聞を己の権力維持のために利用できることに初めて気づいたのはナポレオンであったといわれます。ラジオを最も効果的に利用したのはヒトラーでした。ルーズベルトも、ラジオを通じて大衆に直接話しかけることの利点を大いに活用しました。今日では、これらの時代より、比較にならないほど情報手段が発達しており、これが、もし権力によって邪悪な目的のために利用されるようになったときは、恐ろしいことになります。その極限の姿は、もはや古典ともいえるジョージ・オーウェルの『一九八四年』に描かれているとおりです。
 私は、そうした危機への歯止めのためにも、人間と人間との真実のコミュニケーションとは、一方通行の語りかけではなく、相互の意見・意思の交換であるとの基本を見失ってはならないと思います。また、そのためには、たんに機械によるコミュニケーションで良しとするのでなく、互いが一堂に会し、肩を叩き合って行える、原始の昔からのコミュニケーションこそ、真のコミュニケーションであるとの認識を、あくまで根本としていくべきであると思いますし、それを妨げる障壁の排除をめざしていくべきであると考えます。
6  ペッチェイ 日本や、他の技術先進諸国では、忙しく働く研究員や企業経営者の尖兵たちが、進歩の境界線、つまり情報社会を、さらに高く築き上げています。これに対しては、われわれは感嘆の念でいっぱいですが、多少の疑念もわいてきます。
 この新たな境界線に、果たしてどれだけの人びとが、生活を適合させられるでしょうか。一般の市民は、コミュニケーションの機会を多く与えられるにつれて、心の触れ合いがますます少なくなるように仕向けられるのではないでしょうか。あるいは、この種の進歩は、世界数十億の一般市民にとっては、外縁的で人為的に押しつけられたものとしてではなく、あたかも音楽を演奏したり、山登りをしたり、神を心に思ったり、交通渋滞の大通りを横切ったり、自国の言語や方言をしだいに身につけるように、先天的能力の一つの延長として容易に習得できるものとして、もたらされるものなのでしょうか。

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