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日蓮大聖人・池田大作

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七、食糧の供給と分配  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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5  ペッチェイ すべての主要地域──とくに第三世界の主要地域──において、その地域のあらゆる国々が、この決定的に重要な分野で可能なかぎり集団的に自立できるよう、適切な食糧戦略を考案するための協調的な努力がなされるべきでしょう。この目的のためには、地域ごとに消費される食糧の生産と、したがってまた選択的な農業の発達と、それに不可欠な農地の開発という基礎づくりを──必要とあらば工業の発展を犠牲にしても──最優先すべきです。食糧の確保が第一であり、工業化は二の次にすべきなのです。この指針は、もちろん、そこに含まれる国々や地域の実情に合わせて解釈されなければなりませんが、しかし、食糧なくしては工業もありえないことは、疑問の余地がありません。
 ところで、たとえこのやり方でも、すべての人びとを充足できる適正な食糧を生産するという目標が、世界のいたるところで達成できるというわけではありません。たとえば、アフリカその他には、それに必要な気候的・土壌的条件に欠ける地域や、慢性的に旱魃その他の災害に襲われて、自給するに足る食糧の生産が妨げられるという地域があります。そうしたケースでは、これを援助することが、食糧余剰国──なかんずく北アメリカやヨーロッパの先進諸国──の道義的義務でしょう。この種の寛大な政策が、それらの諸国自体にとっても賢明な自己利益となることは言うまでもありません。貧困地域のカギを握る食糧問題の解決を手助けすることは、世界システム全体の事態の安定と改善を助けることになるからです。
 長期的にみれば、富裕な国々としては、この狭くなった地球を、自分たちが勝手に争い合っては他国に打ち勝ったり、強さを頼んで弱小国家を服従させては自国の利益を得るような場としてではなく、むしろわれわれ皆が分け合って一緒に住む場であり、皆が依存し合っていくところであり、各自が他の人の暮らし向きに合わせて自分の暮らしを豊かにも貧しくもしていく場であると考えることが、結局は自らを利することになるでしょう。
6  池田 この世界を、争い合うための場でなく、助け合い、共存共栄していくための場であるとする基本的な考え方が、いまこそ確立され、徹底されなければなりません。仏教は、万物が互いに依存し合う関係にあることを解明し、平和的に共存していく考え方を教えています。菩薩のあり方は、それを特徴的に示したものといえましょう。
 もちろん、現在まで、人類は、各国内ではまがりなりにも共存共栄を原則とするシステムを実現しようとしてきました。国際社会においても、いくつかの面では共存のための協調が実行に移されていますが、残念ながら、国際社会全般を動かしている原理は、相変わらず弱肉強食の戦闘的・野獣的精神です。それが核戦争の突発的危機を恒常化させている一方で、食糧問題、環境破壊、または汚染問題といったジワジワ迫る危機への対応を妨げているのです。この根本的な姿勢を改めることこそ、なによりも肝要であり、急務といえます。
7  ペッチェイ おそらく食糧問題は、各国ないしは各地域が、その可能性に応じて何かを貢献することによって、全人類共有の福利を増大することができ、単独で行うよりもはるかに大きな利益が最終的に獲得できることを示す、一つの良い例となるでしょう。
 しかしながら、われわれの知るところでは、増えつづける人びとのために十分な食糧を生産することのほうが、飢えた人びとの口に食糧を運ぶことよりも、まだ容易のようです。最近の調査によれば、いくつかの地域では、食糧不足が劇的な悪化の方向をたどりそうだということ、その一方では、たとえば北アメリカのような世界の伝統的な穀倉地帯のいくつかは、おそらく現在に比べて面積が縮小するだろうということが明らかにされています。それにしても、最大の問題は、依然として、やはり輸送と配分の問題になるでしょう。つまり、たとえ外国からの食糧供給への依存が認められ、十分な穀物を買うお金や需要国の遠い港まで運搬する手段が得られたとしても、そうして輸入された穀物をその国内でどう輸送し、食糧不足で死に瀕している人びとにこれを運ぶ適切な分配システムをどう組織化するかということが、最大の難問題として残るわけです。
 したがって、数十億の人類の需要を満たすために、食糧を生産することだけではなく、それを運搬し、分配するためには、「東」「西」「南」の広大な地域内および地域間の、国境を超えた広範囲の連帯と協力が不可欠なのです。この基本的な必要を満たすためには、あらゆるレベルでの適正な地域内および地域間の協定、斡旋機関、運営機構、下部組織機関等が世界共同体によって確立され、さまざまに運用されなければなりません。そして、この要求を満たすことこそが、われわれの時代の平和と安定への前提条件となるのです。
8  池田 まことに、おっしゃるとおりです。私が、それぞれの国が自国の人口を養う食糧は自国の手によるべきであるという意味のことを言ったのは、基本的な考え方として申し上げたわけです。現実には、土地が痩せていて食糧生産の不可能な地域もあります。開墾し農地化するよりも、自然のままに残すべき景勝の地や、貴重な生物の生息する森林や平野もあります。
 ただ、間近に日本で行われていることを見て感ずるのは、本来、農業が行われてきた土地が、どんどん宅地化され、工場が建てられているのは、まさに本末転倒ではないかということです。工業地域などは、元来、農業に不向きな、痩せた土地につくられるべきで、農耕可能な沃土は、最大限農地にする必要があります。住宅用地も同様です。
 それぞれの国の中においても、そうした配慮がなされるべきであると同じく、国際的な協力関係・連帯が確立された場合、全地球的規模で分業化が行われるようになるでしょう。しかし、その場合も、そうした配慮が必要ではないでしょうか。いまは工業地帯は温帯地域に広がっていますが、将来は、巨大工業地は砂漠などに建設され、しかも作業はオートメーション化されて、人間の大部分は温暖な自然環境の中で農耕や畜産、また、歴史的な都市の文化遺産を大事にしながら、商業や熟練を要する手作業に携わるようになるかもしれません。

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