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日蓮大聖人・池田大作

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四、全世界的な森林破壊  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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12  ペッチェイ つぎに、一般大衆による環境保護運動ということに関しては、イタリアは、一言触れる価値がありましょう。イタリアには、旧蹟や美術品の逸品や美しい景色がとび抜けて豊富にありますが、それらの保護という点では最低の成績だといわれていました。イタリアが、美を資産にするという上品で有益なやり方を再発見したのは、つい最近のことなのです。現在では、国の自然、歴史、芸術の遺産を聡明に保存し利用することをめざす、新しい運動が勢いを増しています。この運動を開始したのは官僚ではありません。先見の明と創意と勇気をもった市民の小さな草の根集団──環境保全論者、生物学者、芸術家、詩人、それに学童や若者を先頭に立てた少数の一般人──が、その先鋒となったのです。
 彼らのおかげで、新しい健全な考え方と倫理──啓発された環境保護主義──が、人びとの間に徐々に広まっています。経済的発展は、もちろん、だれもが望んでいます。しかし、社会や生態や人間にそれが強いる犠牲を知らされることなく、盲目的にこれを容認することは、ますます多くの人びとが拒否するようになっています。そして、もしそうした犠牲があまりに高価だと思われる場合は、その代替策を率直に論じ合おうとする態度が、人びとの間にますます広がってきています。
13  池田 それは素晴らしいことです。日本の場合も、民間の自然保護団体がそれなりの運動を起こしていますが、国民的な広がりをもつまでにいたらず、他方、官僚主義がきわめて強いため、あまり効果を出すことができずにいます。日本は、官僚機構が強力であることが、一面では社会の安定と繁栄に貢献していますが、他面、これまでの価値観を覆さなければならないような運動に対して、これを圧殺してしまうという弊害ももっています。今後は、自然の遺産や歴史的・芸術的遺産を保存するためには、国民全体に意識を喚起し賛同を得るよう、運動の強力な広がりをめざさなければならないでしょう。
 イタリアの自然は、私も何度か訪問させていただいて感じたことですが、日本とよく似ています。とくに中部から北部イタリアは緑に覆われた山地が多く、他の国からイタリアへ入ると、故郷へ帰ったような安らぎをおぼえます。イタリアの文化遺産の素晴らしさは、驚くばかりです。さすがにローマ帝国の故地であり、ヨーロッパ文明の発祥の地であると感嘆しております。日本の歴史的遺産は、火や水に弱い木造建築が主体ですので、古いもので今日に残されているのは、どうしても数が少ないのです。それに対して、イタリアの場合は、石造建築が主ですから、驚くほど古いものが見事に残されているのですね。
 それとともに、日本は現代にいたって生活様式が極端に変わり、古い建物で生活することは、現在の人びとには耐え難くなってきています。二百年ぐらいの歴史をもつ民家で重要文化財に指定されている例がありますが、若い人びとは、冷暖房施設のついた現代的な住居を好み、先祖代々のそうした古い家を捨てたがっています。自然環境になるべく触れることが人間にとっては心身ともによいのですが、冬の厳しい寒さや夏の暑さに耐え難くなっているのでしょうか。また、近代的な暖房よりも昔ながらの薪や炭による暖房のほうが、今日では高価につくということもあるのでしょう。しかし、前にも触れたように、この人間と自然環境との乖離は、人間の内面世界に対しても深刻な影響を与えるような気がしてなりません。
 注1著者注・『二十一世紀への対話』(文藝春秋)=一九七五年発刊。
 注2 衡平法 英国で発達した一般国内法に対し、この一般法のもつ欠点を道徳律に従って補正してつくられた法律。

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