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日蓮大聖人・池田大作

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主導者の自覚  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
5  こうした居住、探検、征服、支配という歴史的周期のうちの、最後の段階そのものはきわめて短期間ですが、いまなお継続中です。この段階は、近代民族国家の形成から始まりました。これらの諸国家は、神や国王や祖国の名において行動を起こし、自分たちの言葉や国旗や法律を、地球上の最も遠い地域まで運んでいきました。そして、この衝動が、これらの諸国家を互いに抗争させ、想起することもできないほど数多くの戦争を、事実上起こさせてきたのです。この段階は、世界的な植民地解放の過程と、今日、超大国と呼ばれている人類史上最後の二つの帝国の出現によって、絶頂期に達しています。
 この段階はしかし、その重要性と激動とにかかわらず、全部でまだほんの二、三世紀、言い換えれば、有史時代のたった二パーセントほどしかつづいていません。この時代は、ほぼあらゆる分野にわたる数多くの変化が行われた時代でしたが、残念なことに、政治上の思想と制度の分野だけは例外でした。この分野は、それ以前の諸世紀の間に到達した水準をさほど大きく越えては進展していません。ですから、政治の分野に限っていえば、現代は過去数世紀の付録の域を出ていないのです。人類全体が物質革命に揺さぶられ、知識や力、進展の機会などの面でまったく新たな段階へと跳躍したのですが、それにもかかわらず現代は、文化的には大きく過去に属しています。逆説的に言えば、これこそが、人間は自らの力の絶頂にありながら、今日ほど危機に立たされたことがないことの理由なのです。
6  これらの諸革命とわれわれとの“恋愛関係”は、政治と文化とが釣り合っていないという背景に照らして考えなければなりません。われわれは自らの力に魅惑され、“なすべきこと”ではなく“できること”をやっており、実際に“なすべきこと”や“なすべきでないこと”に対しても、あるいは人類の新しい状況に潜んでいると考えなければならない道徳的・倫理的規制に対してすらも、なんら配慮することなく、どんどん前進しています。われわれの判断の誤りや、無責任な行為の結果がどうなるかは、きわめて明瞭です。人類はきわめて多くの疾病に打ち勝ってきましたが、自らの増殖力を減らすことは考えず、その結果、世界の人口は驚異的に増加しています。今日、一分の隙もない武装を凝らすためにはどんな機会も逃さない、喧嘩腰の、いわゆる主権国家の時代にあって、軍事技術を大きく発達させてきたあのやり方は、ほかでもないすべての人類が、実際に危険な火遊びをしていることを意味しています。全速力で突進しつつ、そしてまた物質の所有と消費への自らの性癖に溺れつつ、現代人は全地球的な物質、食糧、サービスへの要請を劇的に膨張させてきました。また、人工的な必需物を生み出し、絶えず流行を新たにし、技術的に早晩すたれるような新製品をデザインしては、不可欠とみなされるものの範囲を巧妙に拡大してきました。
 こうして押し寄せる猛烈な軍事優先主義と消費主義の大波に対抗するために、人類が考え出した唯一の方法は、ますます自然環境を利用して、最も入手しやすい金属・燃料の鉱床や手にしうるかぎりのあらゆる生物資源を無差別に開発することだったのです。このような行動は、このたった一つのかけがえのない地球を、取り返しがつかないほど枯渇させてしまいます。地球の恵み深さ、寛大さは、無限ではないのです。たとえ今日われわれを取り囲む他のあらゆる逆境が緩和されることがあったにしても、自然に対するわれわれの高飛車な取り扱い方は、それ自体われわれの破滅を招きうるものなのです。

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