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註解  

「平和と人生と哲学を語る」H・A・キッシンジャー(全集102)

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11  〈ら行〉
 ライシャワー
 (一九一〇年―一九九〇年)エドウィン。アメリカの歴史学者、外交官。東京生まれ。ハーバード大学教授。一九六一年―六六年、駐日大使を務めた。
 リビア攻撃
 リビアの指導者カダフィーは、アメリカを激しく非難し、テロ集団を支持していたが、一九八六年四月、西ベルリンのディスコが爆破され、アメリカ人の兵士の一人が死亡し、民間人にも多数の死傷者が出た事件を機に、アメリカは大規模な爆撃をリビアに加えた。しかし、アメリカの同盟国に作戦反対の声が上がり、ヨーロッパでは抗議運動が高まった。
 両者は平和に……
 一九七五年に、キリスト教徒とイスラム教徒との間で内戦状態となり、その後、政情不安な状態がつづいている。
 量子力学
 二十世紀に入り、分子、原子、素粒子などの極微の世界を追究するようになって登場した力学。量子力学ではエネルギーを不連続で、ある単位の整数倍の量とするが、その単位となるものを量子という。
 ルイ十五世
 (一七一〇年―七四年)フランスの国王。王としての力量に欠け、国家財政を困難にしたうえ、七年戦争でイギリスに敗れてカナダとインドの領土を失い、王権の弱体化を招いた。次の孫のルイ十六世のとき、フランス革命(一七八九年)が起こる。
 ルッカ
 イタリア中部の都市。十三―十四世紀に毛織物、絹織物生産で先進的地位を誇る。今なお旧市街は城壁に囲まれ、中世そのままの姿を残している。
 レーガン
 (一九一一年―)ロナルド。アメリカの政治家。映画俳優出身で、カリフォルニア州知事を経て第四十代大統領に。一九八七年、ソ連のゴルバチョフ書記長と、中距離核戦力(INF)全廃条約に調印した。
 レーニン
 (一八七〇年―一九二四年)ウラジーミル・イリイチ。ロシア革命を指導し、世界初の社会主義国家(ソビエト社会主義共和国連邦)を実現。学生時代から活動を始め、退学の後にはマルクス主義による革命運動に進んだ。帰国、亡命を繰り返すなか、一九一七年に武装蜂起してプロレタリア独裁の新政権を打ち立てる。マルクス主義を理論的にも強化し、著書に『帝国主義論』『国家と革命』『唯物論と経験批判論』など。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ
 (一四五二年―一五一九年)イタリア・ルネサンス期の画家、建築家、彫刻家、科学者、技術者。多方面に天才を発揮して「万能の人」とされる。フィレンツェの公証人と農民の娘の間に、ヴィンチ村で生まれた。
 十代半ばに、絵画、彫刻をはじめ多彩な才能をもつアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房の徒弟となる。一四八二年にミラノに移り「最後の晩餐」を描く。その後、フィレンツェ、ミラノ、ローマなどを遍歴している間に「モナ・リザ」を描いた。対象そのものを認識することに徹した観察力は、自然認識にも示され、あふれんばかりの技術的、工学的アイデアとあいまって近代科学にも通じていく考察ともなった。一五一六年、フランスに赴いたまま生涯を終える。
 「歴史の意味……」
 一九四七年執筆。「シュペングラー―直観としての歴史」「トインビー―経験科学としての歴史」「カント―歴史と人間の道徳体験」と終章「責任の意識」の主要四章からなる三七七ページの草稿。「処女論文」の項を参照。
 レジスタンス
 フランス語で抵抗運動の意。とくに第二次大戦中、ドイツの占領下に置かれたフランスでの地下抵抗運動をさすが、各国の抵抗運動にも使われる。
 レミントン
 (一八六一年―一九〇九年)フレデリック。アメリカの画家、彫刻家、イラストレーター。ニューヨーク州カントン生まれ。西部に旅行以来、カウボーイと先住民との争いを題材とする作品を制作する。
 ロイド
 (一九〇四年―七八年)イギリスの政治家。マクミラン首相時代に活躍。国防相、外相、蔵相などを歴任、下院議長も務める。
 老子
 中国の春秋時代末の思想家。道家の祖。宇宙の根本の実在、理法である「道」を説き、自我を捨てて無為自然であれば、社会は平和になり人々は幸福になる
 とした。
 ローデシア
 アフリカ南部にあった旧イギリス植民地。南北ローデシアに分割統治されていた。一九六四年に北ローデシアがザンビア共和国として独立。南ローデシアをローデシアと呼んだが、八〇年にジンバブエ共和国として独立を実現。
 キッシンジャー氏は七六年に二度アフリカを歴訪。フォード大統領は「国務長官のアフリカ旅行は失敗の危険もあるが、現地の当事者による問題解決を援助するうえで建設的な役割を果たすだろう」と語る。キッシンジャー氏はアフリカ歴訪の最後の九月に「私はブラック・アフリカ諸国大統領と一緒に練り上げた考えを南アに伝えた。私は目標達成に向けてめざましい進展があったと信ずる」と発表。ジンバブエ独立の契機をつくる。
 ローマ帝政
 紀元前二七年、カエサルの甥で養子となったオクタウィアヌスがローマを統一、帝政時代を実現した。三九五年に東ローマ帝国と西ローマ帝国とに分裂。
 最盛期の版図は、東は小アジア、西はイベリア半島、南はアフリカの地中海沿岸、北はイギリスにまでおよび、古代西洋では最大の帝国となった。ギリシャの模倣的文化だったが、軍事、土木、建築、法制にきわめて優れた才能を発揮した。
 ロシアとか……
 ロシア革命(一九一七年、ツァーリズムを打倒しソビエト政権を樹立)とドイツ革命(一九一八年、帝政を倒し共和政府樹立)をさす。
 ロスコ
 (一九〇三年―七〇年)マーク。ロシア出身のアメリカの画家。抽象表現主義の代表画家として知られる。あいまいな境界の矩形の色面を配列した絵は、内面的宇宙の広大さ、奥深さ、複雑さを個性的、直接的に表現しており、静けさとともに、なんらかの噴出を予兆させる生命感を漂わせている。
 ロック
 (一六三二年―一七〇四年)ジョン。イギリスの哲学者、政治思想家。医学にも通じた。哲学者としてはイギリスの経験論を基礎づけ、人間は本来“白紙(タブラ・ラサ)”の状態であり、観念、知識は生得のものではなく、感覚、知覚による経験に由来する、とした。王政復古期の対立抗争のなかオランダに亡命したが、名誉革命後に帰国、重職についた。
 ホッブズの社会契約説を受け継ぎ、契約によって国民は政府に服従する義務があるが、生命・自由・財産を侵す、つまり契約に反するような政府に対しては人民は抵抗権・革命権があり、政府を解体できる、と主張。また、権力の分立を説いて近代民主思想の祖型を築き、フランス革命やアメリカの独立に思想的影響を与える。主著は『人間知性論』『市民政府二論』。
12  〈わ行〉
 ワイエス
 (一九一七年―)アメリカの画家。高名なイラスト画家の父に絵を学ぶ。アメリカの地方の自然や人物を細密精緻な写実で描き、不安、陰鬱、求めてやまぬ渇望の雰囲気を表現している。代表作「クリスティナの世界」。
 ワシントン
 (一七三二年―九九年)アメリカの初代大統領。英国に対する独立戦争にさいし、植民地軍司令官として活躍、独立を獲得した。一七八九年に大統領に選出され、建国の父として尊敬されている。
 私の両親……
 一九二三年五月二十七日、ドイツ南部フランケン地方の小都市フュルトで、教員を務める父・ルイス、母・パウラの間に生まれる。
 私は、日中の……
 中国脅威論が高まるなか、一九六八年九月八日、東京・両国の日大講堂で開かれた第十一回学生部総会の講演で歴史的な提言を行った。七二年九月、日中の国交は回復した。

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