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日蓮大聖人・池田大作

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後記 「池田大作全集」刊行委員会  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
5  次に、『第三の虹の橋』につづく二人の対談は、人類の最大のテーマである『科学と宗教』を真正面に据えて始められた。社会主義国家・旧ソ連邦崩壊という社会の大変動の真っただ中にあって進められた対談であった。そのなか、ログノフ博士は未来を見つめ、空白を埋める“精神的なるもの”をSGI会長との対話に真摯に求めている。
 「池田先生には、人類史における『宗教』と『科学』の“相互関連”を踏まえて、いよいよ未来の人類のための『宗教論』『科学論』を展開していただきたい」(「二十一世紀の『科学』の夢とロマン」)。そう語る博士には、かつて見られたような「宗教」は「科学」と対立するという視点はほとんど感じられない。
 博士に見られるこうした変化は、たんに旧ソ連邦の崩壊によってのみ、なされたものではないだろう。人生の大半を宗教に否定的な環境下で過ごした博士は、SGI会長との語らいをつづけるなか、しだいに宗教的世界観に目を開いていったようだ。それは「以前の私は、物理学の立場だけの世界観、宇宙観でした。池田博士と出会ったおかげで、世界観、宇宙観が広がっていきました」「唯物論者は人生の一方だけ、つまり物質的な面だけを見ていて、精神的な面を見落としているのかもしれません」といった発言等からもうかがえる。
 さらに、博士の宗教への歩み寄りは、創価大学(東京・八王子市)での講演(九三年六月十五日)にも明らかである。博士は「科学と宗教」と題する講演の中で、「宗教は人間の精神世界をリードするものであり、その精神世界の中に創造力がある。科学の発展はこの創造力によっている。したがって、科学は宗教を構成する一部分ともいえる」との洞察を述べている。
6  さて、本編では、科学の知見と仏法の智慧との出合いが幾たびとなく繰り返されている。「宇宙空間と『空』」「心の構造と『九識論』」「ミクロの世界と『三諦論』」「宇宙論と『成住壊空』」「エネルギー保存則と『業因業果』」……現代科学の最前線の成果をも踏まえた展開のなかに、読者は科学と宗教の両者が、相対立するのではなく、互いに共存し、豊かな価値を触発し合うものであることに気づかれたのではないだろうか。
 また、SGI会長は、「まえがき」で「博士と私の思索は、長足の進歩を遂げる科学技術を、人類の幸福と繁栄のためにコントロールし、止揚しゆく“精神的なるもの”として、『世界宗教』への期待に収斂していったのである」と記しているが、対談中に試みられたこれらの「科学と宗教の対話」は、最終章で“新たなる「世界宗教」の条件”、そして“二十一世紀の科学の展望”を語り合うなかに結実している。
 「なぜ宗教否定の国へ行くのか」――。そう問われ、「そこに“人間”がいるからです」と答え、SGI会長がソ連への第一歩を印したのは二十五年前のことであった。そのなかで出会った、かけがえのない「人間」の一人が本巻に収められた二編の対談者ログノフ博士であった。そして、博士との対談は社会主義と自由主義の壁を超え、さらには科学と宗教が手をたずさえ切り拓く“宇宙文明”の展望へと、限りなく広がったのである。
 そのことに思いを致すならば、つねに「人間」を見据えて重ねられるSGI会長の人間主義の対話と行動が、人類の希望の未来を開く大きな推進力となっていくにちがいない。
       一九九九年五月三日

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