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日蓮大聖人・池田大作

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第三章 「脳」と「心」の妙な…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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11  よき師と出会った人の幸せ
 池田 ここで、日本の中学生、高校生へのアドバイスとして、数学が得意になる方法を博士にうかがいたいのですが。
 ログノフ 論理的な思考を育てるという意味で、数学の学習というのは非常に大切です。やはり実際に練習問題をたくさん解くことだと思います。問題を解き始めて、簡単だということがわかれば、自信がわきます。自分でもっと頑張ろうという気持ちがわいてきます。
 池田 簡単なものから、徐々に順序だてて学んでいくということですね。
 ログノフ 学校で教える程度の数学でしたら、特別の才能は必要ないと思います。慣れればたいてい理解できます。
 池田 そうですか。私の恩師は、どんな劣等児でも必ず優等生にしてみせるというほど、教え方に熟達していました。恩師の著作『推理式指導算術』という数学の参考書は、当時、未曾有の百万部を超す大ベストセラーでした。
 ログノフ ほほう、そうですか。
 ―― 筑波大学名誉教授の大内茂男氏も、少年時代、戸田先生の本で勉強されたそうです。初めの部分はスイスイ解ける。が、途中までいくと、ノッソノッソに変わり、最後のほうは解けない問題もだいぶ残ったと、講演会で懐かしそうに話されておりました。
 池田 問題がやさしいものからむずかしいものへと、じつに論理的によく考えて並べられていて、生徒たちは、楽しみながら、知らずしらずのうちに、数学の力を身につけていったのでしょう。
 ログノフ 私の進路を決定づけた最初の人も、航空技術大学で出会ったコルパコーフ先生という数学教師でした。青年の心を引きつける見事な才能と情熱がありました。
 池田 よき師、よき教師との出会いをもった人は幸せです。私も恩師からありとあらゆることを学びました。それはそれは厳しい薫陶でしたが、それが私の一切の原点になっています。
 ―― 青少年たちにとって、将来を決めるよき出会いは宝ですね。
 池田 若い人たちに大いなる夢を与えることが、どれほど大切か。
 イギリスの世界的童画家ワイルドスミス氏も、子どもたちの間に見られる“創造性の減退”こそ、現代の最大の危機であると訴えていました。
 ―― ワイルドスミス氏は、池田先生の童話のさし絵も描いていますが、童画をとおして子どもたちに“創造性の泉”を与えるべく意欲的に活躍されています。
 池田 そうですね。すばらしい絵ばかりです。
 “創造性”といえば、私が一度お会いしたことがある、ハーバード大学の宗教学者コックス教授が、昨年、興味深いシンポジウムをしています。
 ―― 核物理学者、詩人、心理学者、ジャズ・ピアニストなども加わった、“創造性”をめぐってのユニークなシンポジウムだったそうですが。
 池田 そうです。結論としては、“創造性”を開発するには“訓練”が必要である。より具体的には、
  ① 厳しき自己鍛錬
  ② すすんで自身を困難な境遇におくことのできる“開かれた心”
  ③ 自分を正しく高めてくれる師匠との心の交流
 が“創造性”を開く道であるとのことでした。
 ログノフ 新しい“創造”には、厳しい試練と偉大な人格の啓発が必要なのは当然です。
 ―― 人間生命の“創造性”を追究した哲学者にフランスのベルクソンがいます。彼の哲学も啓発的です。
 池田 そう、ベルクソンは“生の哲学者”として、独自の思想を展開しています。たとえば、「創造は自分で自分を創造することであり、少ないものから多くのものを引き出し、無から何ものかを引き出し、世界の豊かなものにたえず何かを加える努力によって、人格を大きくすることであります」(『意識と生命』渡辺秀訳、『ベルクソン全集⑤精神のエネルギー』所収、白水社)という言葉は有名です。
 ベルクソンは、現実の生活のなかでなんらかの価値を生みだし、人格を高めていくところに、“創造性”があると主張しているのです。
 ログノフ なるほど。きわめて日常的な現実のなかで、大いなる価値が創造されるということは納得できます。
12  創造性の源泉「九識心王真如の都」
 ―― 話がちょっと前後しますが、仏法では、記憶はどこに蓄えられると考えるのでしょうか。
 池田 「九識論」でいえば、第八の“阿頼耶識”です。“阿頼耶識”は“蔵識”ともいい、記憶を“種子”として蓄える場所という意味があります。
 ログノフ 記憶の“蔵”ですか。おもしろい。
 池田 そうです。仏法で説く“種子”の分類には、この“記憶の種子”をはじめ、さまざまな“業(行為)の種子”もありますが、ここでは略させていただきます。
 ログノフ その“記憶の種子”に、個人の体験や情報が、蓄えられるわけですか。
 池田 そのとおりです。しかし、“阿頼耶識”が個人という次元に限定されたものでなく、時間的にも空間的にも壮大な広がりを内包していることは、前にも申し上げたとおりです。そして、仏法の仏法たる所以は、“阿頼耶識”のさらに深層に本源的な生命を洞察していることです。
 ログノフ それが「九識論」の最後のものですか。
 池田 そのとおりです。それは、人間生命という“内なる小宇宙”の最深部をなし、かつ“外なる大宇宙”と一体となって融合しゆく、宇宙生命そのものの次元なのです。
 この当体を天台は、“根本浄識”と呼び、日蓮大聖人は“九識心王真如の都”と表現しました。仏法では“創造性”の源泉を、この本源的な生命に求めています。
 ログノフ 初めてうかがいました。こうした志向性は東洋独特のものですね。
 池田 人類に偉大な光を与えた発見や業績には、必ずといってよいほど、大いなる“創造性”が躍動しています。
 先ほど博士が言われた“創造性”を開発するための“順序だてられた絶え間ない作業”というのは、仏法的には“阿頼耶識”における“記憶の種子”の強化ととらえることができます。
 ログノフ なるほど、なるほど。
 池田 間断なき努力、徹底した思索……そうした精神的格闘が極限まで高められたとき、つまり“記憶の種子”が限界まで強められ、その境界を突破したとき、“阿頼耶識”の内部において劇的な変転が起こります。その瞬間に、生命の最深層から独創的な智慧の光明が輝きわたるとみることもできると思います。
 ログノフ なるほど。仏法が科学の眼からみても、たいへん現実的かつ実践的な宗教であることがわかる気がします。

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