Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第二章 はるかなる「宇宙」と…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
10  宇宙空間と「空」の概念
 ―― 先ほど、地球は生命を育むオアシスであるという話がありましたが、天体が運行する大海原ともいうべき広大な宇宙空間とは、どのようなものなのでしょうか。
 ログノフ われわれが生活している地球上の大気の中には、一立方センチあたり、一兆個の三千万倍(3×1019個)の分子がふくまれています。
 それに対して、宇宙空間では、平均すると一立方メートルあたり、原子がたった一個存在する程度です。
 池田 まさしく高純度の真空ですね。しかし、何も存在しないと思われるこの宇宙空間から物質が創成され、星が生まれ、やがて生命が生まれてきたわけですね。
 ログノフ そのとおりです。また素粒子の世界では、きわめて瞬時に素粒子が生まれては消えています。そうすると、この宇宙空間はたんなる「無」ではなく、物を生みだしていく空間と考えざるをえない。
 イギリスの物理学者ディラックは、このことを理論的に唱えました。
 池田 今世紀の科学の偉大な知見は、仏法で説く「空」の概念とも、きわめて近い考え方と思います。
 ログノフ その「空」という概念は、仏法独自の深遠な哲理であると聞いていますが……。
 池田 いわゆる西洋哲学の範疇にない、仏法哲理の真髄であると思います。
 ログノフ この「空」という言葉は、もともとインドのものですか。
 池田 そうです。サンスクリット語(梵語)の“S´u^nya(シューニヤ)”の訳です。もともとは“ふくらむ”という意味をもっていました。
 ―― 東洋学者のマックス・ミュラー博士は、かつて“空虚(all*empty)”と訳していますね。
 池田 この「空」という概念を正しく理解している人は、きわめて少ないと思います。
 「空」とは、空虚とか、何も無いということではありません。つまり「無」ではない。だからといって、現象世界における「有」でもない。現象世界へと顕在化して「有」のすがたとなったのを、仏法では「仮」ととらえます。
 ログノフ ということは、「空」とは、「有」とか「無」という概念を超えたものということでしょうか。
 池田 そのとおりです。
 恩師の戸田先生は、この「有」「無」を超えた「空」の概念について、わかりやすく説明しておりました。
 「たとえてみれば、“あなたは怒るという性分をもっていますか”と問われたときに、“もっております”と答えたとする。それなら“その性分を現してみてください”と言われても、現しようがないから、“無い”と同様である。しかし“有りません”と答えたとしても、“縁”にふれて怒るという性分が現れてくる。かかる状態の存在を“空”というのである」
 ログノフ ほほう。そう言われると理解しやすくなります。
11  かたちと力――自然界の造形
 ―― 「空論」についていえば、池田先生は、一九八八年にフランス学士院で講演をして、ダイナミックな「空」の概念から、仏法の「生命論」を展開されましたね。
 そのフランス学士院の会員であり、池田先生の友人でもあるルネ・ユイグ氏の著書に『かたちと力――原子からレンブラントへ』(西野嘉章・寺田光徳訳、潮出版社)という大著があります。私どもの社から翻訳・出版したものですが……。
 池田 そうでしたね。これは、人文科学・自然科学を問わず、万般の学問を総動員して、自然界の見える“かたち”と、見えない“力”のダイナミックな関係を鋭く探究した大労作です。
 ―― ですから、美術専攻の学者だけでなく、物理学者などの力も借りなければ、正確な翻訳はできないというわけで、実際に刊行できるまでに、八年近くかかってしまいました。
 池田 仏法の概念を使えば、ユイグ氏が究明しようとする“力”は「空」に、“かたち”は「仮」に該当するように思います。
 仏法ではあらゆる事象について、「空」と「仮」を明瞭に洞察する。つまり、“あきらか”に見るという意味から、「空諦」「仮諦」といいます。たとえば、日蓮大聖人は「十如是事」という御文の中で、“我が身の色形に顕れたる相”を「仮諦」とされ、一方、“我が心性”を「空諦」とされています。
 ログノフ 仏法の「仮諦」と「空諦」という概念は、私たちには今まで翻訳されたものが少なく、ほとんど接することがありませんでした。ロシア語版があれば、ぜひ一度読んでみたいものです。
 池田 そこで、ユイグ氏は、振動とか波動の意味について考察しながら、ハンス・イェンニというスイス生まれの医師が著した『波動学』(サイマティックス)という書物から、多くのおもしろい実験結果を紹介しています。
 ログノフ ほう。波動学ですか。たとえば、どういう事例がありますか。
 池田 そうですね。いわゆる水晶の振動子を使用しています。
 ログノフ 水晶の格子状の結晶は、電気的衝撃を与えると歪む性質がありますね。
 池田 ええ、その電気的衝撃を連続的に加えて振動させます。その振動が伝わっている板の上に水銀の粒を置いて、その変化がどうなるかを観ます。
 水銀は強い表面張力が働きますから、球のようなかたちをしています。それが、板の振動によって変化して、四角形や五角形などの多角形に囲まれた立体(多面体)になるのです。しかも、それらは驚くべきことに、自然界に見られる美しい雪の結晶や色鮮やかな花びらの構造を彷彿させるというのです。
 ログノフ なるほど。そうかもしれません。
 池田 また、高周波数の音波で、粘着性のある液体、たとえばグリセリンの薄膜(フィルム)とか、ペーストのような物質を振動させると、びっくりするほど鮮やかに、珊瑚の芽や枝、ソラマメや貝殻、魚の骨など、私たちが日常目にする、自然界の生物に似た“かたち”が現れてくるというのです。
 ログノフ 音などの振動が創り出す“かたち”と、自然界の“かたち”の間には、なにか深い相関関係があるということですね。
 池田 そうです。
 そこでユイグ氏は、実験結果を踏まえながら、「このように初めは、エネルギーと、波の“かたち”での振動のみが存在した」(前掲『かたちと力』)と洞察しております。
 ログノフ 科学的探究の成果と、芸術的直観の融合が導きだした、興味深い話です。私も一度研究してみます。
 池田 ぜひお願いします。
12  「空」――その無限の創造力
 池田 また「不確定性原理」で有名なハイゼンベルクと師匠ニールス・ボーアとの対話も示唆的です。
 ログノフ ハイゼンベルクは非常な秀才です。一方のボーアは原子構造の理論でノーベル賞をとっています。たいへん幅広い考え方のできる人で、しかも対話が巧みでした。ボーアの周りには多くの若い英才が集まり、対話と研究に没頭していました。ハイゼンベルクもボーアのもとではじめて、自分のしていることの意味をはっきり掴みとったのです。
 池田 科学の世界もやはり「対話」であり、「師弟」ですね。そのハイゼンベルクの若き日に、師ボーアが「物質の安定性」について語った一節があります。
 「自然界にはある一定の形を作ろうとする傾向があり、そしてこの形は、(中略)それが邪魔されるか破壊されるかしたとしても、いつでもふたたび新しく元の形を生ぜしめようとする傾向が存在する」(W・ハイゼンベルク『部分と全体』山崎和夫訳、みすず書房)というのです。
 ―― 先ほどからのお話をうかがいますと、仏法では、その“ある一定のかたち”を創り出そうとする傾向性の源泉を「空」に求めているように感じましたが。
 池田 そのとおりです。万物を生みだす無量の潜在力をたたえた場――。その「空」なる世界に満ち溢れるエネルギーの妙なる躍動が“かたち”となって顕在化するのです。
 たとえば素粒子にしても、「空」なるエネルギーからつくられ、一瞬の「仮」の姿を現じた後に消滅し、ふたたびエネルギーへと潜在化していきます。
 ユイグ氏が引用している多くの実験も、音波や電気的衝撃による振動という「縁」によって、「空」から「仮」へと、さまざまな“かたち”が姿を現すものと考えられるのではないでしょうか。
 ログノフ なるほど。物理学的にいうと、物質の質量というのは、一点に凝縮したエネルギーです。
 エネルギーは“場”というかたちで広がることもできますし、“物質”というかたちで一点に凝縮することもできるのです。その意味でも、今まで述べられてきた仏法の「空」の概念について、私もいろいろ思索していきたいと思います。
 池田 これはまた、次の機会に申し上げたいと思いますが、仏法では宇宙も一つの生命的存在ととらえています。
 ログノフ ほう、そうですか。
 池田 ですから、物質の究極も、無限の宇宙も、そして不可思議なる生命も、この「空」なる実相をそなえている。
 あらゆる生命空間に秘められた、無限の創造力としての「空」は、「縁」に応じて「仮」と現れ、また潜在化しゆくダイナミックなものです。最先端の科学の眼も、仏法の英知と同じく、この一点を凝視しているのではないでしょうか。
 ―― 次章は、「脳と心」、また身近な「夢と睡眠」などについて語っていただきたいと思います。

1
10