Nichiren・Ikeda
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色法妙法蓮華経の本迹
現実変革の仏法は色法の妙法
「百六箇抄」講義
前後
12 本の迹は迹に非ず
これに対して本因妙は、同じく寿量品に「我本菩薩の道を行じて」とある通り、五百塵点劫の本果を得るために衆生が行じた本因の菩薩道のことであります。
しかし、この本因の菩薩道の文底に、南無妙法蓮華経が秘沈されていたことは、これまで何回も述べてきた通りであります。
日蓮大聖人は釈迦が行じた本因の菩薩道における五十二位の段階のうち十信を経て十行の最初の位である初住位において、釈迦は南無妙法蓮華経を覚知して不退の境涯に入ったのであると洞察されております。すなわち「我本行菩薩道」の本因妙は、その文底に妙法を秘沈しているが故に、真実の本門、文底独一本門のうえの迹となると教えられているのです。
同じ「我本行菩薩道」の本因妙の文を、五百塵点劫の本果のための本因妙と捉えれば「迹」にすぎない。だが、文底の南無妙法蓮華経を秘沈した文と捉えれば、独一本門の「本」に基づいた「迹」となるが故に「本の迹」となるのであります。
これは、もはや単なる迹の域ではなく、本の迹となるとの意であります。
それ故に、寿量品の本因妙を文底に見いだされた日蓮大聖人の仏法を「本因妙の仏法」というのであります。
13 我が内証の寿量品
文上寿量品の本因妙の文たる「我本行菩薩道」の文底に見いだされた独一本門・南無妙法蓮華経ことであります。
したがって、寿量品といっても、南無妙法蓮華経体内の寿量品、逆にいえば、妙法により開会された寿量品であります。
この「我が内証の寿量品については、いずれ「下種の法華経教主の本迹」のところで、詳しく展開していきたいと思います。