Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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平和の連帯「SGI」(上) 創価の太陽は赫々と昇った!

2009.1.24 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

前後
5  「行学の二道」への真摯な取り組みも、世界中に、はつらつと広がっている。
 ある国の青年リーダーの報告には、「一・二六」の意義を考察して、凛々しき決意が記されてあった。
 ──「一」は「一人立つ」学会精神であり、「二六」は、日興遺誡置文の「二十六箇条」に通ずると受けとめております。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事
 この遺誡を踏みにじった日顕宗とは、これからも断固として戦い抜きます、と。
 「広宣流布」の誓願。
 「異体同心」の団結。
 「死身弘法」の行動。
 この日蓮仏法の信心の血脈は、「師弟不二」なる創価学会にのみ、脈々と流れ通っているのだ。
6   あの国に
    またこの国に
      妙法は
    仏意仏勅
      君らの不惜で
 一九七四年(昭和四十九年)の一月二十六日、私は、九州の鹿児島空港から香港へ飛んだ。
 翌年の「SGI」の結成に結実しゆく連続闘争を、ちょうど一年前のこの日、私は「先駆の中の先駆」の大九州から開始した。
 恩師が「東洋広布」を託されたのが、九州である。ゆえに、この「火の国」の健気な同志と共に、私は、新たな「世界広布」の炎を点火したかったのである。
 当時の世界は、東西冷戦に加えて、中ソ対立も深刻だった。東南アジアでも、日本の首相の訪問に対し、反日デモが沸騰した。
 不信と憎悪が渦巻き、戦乱の悪夢が頭をもたげる時代であった。
 だからこそ、今、世界へ行くのだ! 傷ついた世界を結ぶために、対話を繰り広げるのだ!
 この一九七四年の三月には、私はアメリカに飛んだ。サンフランシスコ、ロサンゼルス、そしてニューオーリンズ、マイアミの各都市を訪れ、引き続いて中米のパナマ、さらに南下してペルーへと渡った。
 いずこの地でも、政治・文化・教育の指導者と対話を重ね、寸暇を惜しんで、わが同志を励ました。
 一日を、一年にも、千日にもとの思いで、北から南へと走ったのである。
 長途の疲れから体調を崩し、発熱でふらつく体を押して、大学の総長と会見したこともあった。
 断じて倒れるわけにはいかぬ。だが、世界広宣流布への戦いのなかで倒れるのであれば、本望だ。
 未来のために、後に続く若き弟子たちのために、世界に道を開くのだ! 平和の道を、そして勝利の道を開くのだ!
 私には、この一念しかなかった。妻は一心不乱に祈り続けていた。

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