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日蓮大聖人・池田大作

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勝利の一年を共々に(上) 君よ 富士の如く巍巍堂々と!

2009.1.6 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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4  それは五十年前──。
 一九五九年(昭和三十四年)、戸田先生の逝去から最初の正月を迎えた私は、この年を「黎明の年」と位置づけていた。
 「黎明」の光に包まれるのは、人びとが眠りについている漆黒の暁闇のなか、決然と行動に打って出る勇者である。
 今の季節、特に、夜明け前の暗いなか、雪や凍結で足元の悪いなか、聖教新聞の配達をしてくださる尊き無冠の友の皆様方に、胸奥より感謝を申し上げたい。私は妻と二人、一生懸命に無事故とご健康とご多幸を祈っている。
 本年もどうか、よろしくお願いします。
 五十年前の「黎明の年」、私は、恩師なき創価学会に「希望の太陽」を昇らせゆかんと、師子奮迅で走りに走った。一月の早々から、厳寒の北海道にも飛んだ。
 リーダーが率先して最前線に突入し、体当たりで道を開いていく以外にない。
 最も大変な地域、最も厳しい状況で、必死に戦っておられる友を励ますのだ。
 共に祈り、苦楽を分かち合って前進していくのだ。
 「幹部は第一線を足まめに歩け! 新たな突破口を自らが勇敢に開きゆけ!」
 これが戸田先生の教えであった。そこにこそ、勝利の「黎明」が輝き始めるのである。
5  "百年に一度"の金融危機だといわれる。この激浪のなかで、何が一番大事か。
 当然ながら、政治的、経済的、国際的な英断の施策が求められる。同時に、忘れてはならないことがある。
 敗戦という未曾有の危難のなかで迎えた昭和二十一年の正月、時の東大総長・南原繁博士は、ラジオを通じて訴えた。
 「制度組織の改革にも優して、内面的な革命──人間の思惟と精神の革命──がなされなければならぬ」(「国民の改造」、『人間革命』所収、東大協同組合出版部)
 博士は、それを「人間革命」と意義づけられた。
 そして当時、戸田先生は、苦悩の民衆を根本的に救うためには、人間が胸中の仏界に目覚めゆくことだと、広宣流布の戦いを起こされていたのである。
 「人間」こそが一切の焦点だ。いかなる改革も、人間自身が内面から変わらなければ画竜点晴を欠く。
 博士は、年頭のラジオ演説をこう締めくくった。
 「富士の霊峰は元朝の光に染められて新たな未来を象徴するが如くである。われわれは新たな希望と勇気とをもって、われわれの前に置かれた一筋の道を実直に進もうではないか──たといそれがいかに荊棘と苦難に叢り充ちていようとも」
 なお、四国の香川県出身の南原博士は、こよなく故郷を愛し、青年を愛した。母校を幾たびとなく訪問し、後輩たちを励まし続けたことも有名である。
 四国といえば、昭和五十五年の年頭、あの「さんふらわあ7」号に乗って、荒波を越えて、私のいる神奈川文化会館へ駆けつけてくれた真実の同志の顔が、鮮やかに蘇る。

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