Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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青年の陣列の拡大(上) 一切の勝利は「人材」で決まる

2008.2.9 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

前後
2  それは、一九五三年(昭和二十八年)の厳寒の二月であった。ちょうど五十五年前の歴史になる。
 二十五歳の私は、前年の蒲田支部の"二月闘争"に続いて、新たな「人材・拡大」の先頭を走りに走っていた。ヤング男子部の如き、猛然たる勢いであった。
 この年の年頭、師より男子青年部の「第一部隊長」の使命を拝して二ヵ月目。
 それは、会員七十五万世帯という恩師の願業の達成へ、共に戦う青年を糾合し、新たな人材をつくり、育てるという必死の激闘であった。
 「師匠・戸田先生は、真実の弟子が澎湃と出現することを祈り待たれている。先生の前に、若き正義の弟子の陣列を揃えてみせるのだ!」──これが私の決心であった。
3   堂々と
    いざや勝ち征け
      進み征け
    千軍万馬の
      人材雄々しく
 この年の「人材・拡大」の目標は、明確であった。
 わが第一部隊として、年末までに「部隊一千人」の陣列の構築──これである。
 私が部隊長に就任した時点では、部員は、墨田、江東、江戸川などを中心に点在し、六班で三百人余りの陣容であった。ゆえに、三倍以上の大拡大となる。
 私自身、地元の蒲田を離れ、"派遣"である。
 容易な戦いではないことは明らかだった。しかし、戸田先生の大誓願に向かって、一段と青年の結集を加速せねばならない時であった。
 蒲田支部が広宣流布の突破口を開いたように、青年部でも、どこか一カ所が拡大の模範を示せば、その波動は必ず日本中へ広がる。
 「大作に託せば、必ず、やってくれる」──これが、私を「第一部隊長」に任命された戸田先生の信頼であり、確信であった。
 広宣流布の大師匠が命じられた戦いに、不可能はない。我々には「法華経の兵法」(御書1193ページ)がある。根本は一人ひとりが燃え上がる信心で立つことだ。
 そのために、共に戦ってくれる中核の同志が、「これならば勝てる!」と、確信をもって進軍を開始することが、不可欠であった。
 まず私は、それまでの六班の体制から、新たな班長も登用して、一気に十班へと再編・拡大し、十人の班長に「部隊十傑」の称号を贈った。
 戦いに勝つためには、何にもまして「核を固めること」が鉄則であるからだ。
 この十人の班長のもとに、今度は、それぞれが十人の分隊長の登用をめざす。つまり「部隊百傑」の構築を当面の目標に掲げたのである。
 そして、総仕上げとして、百分隊がそれぞれ部員十人を達成すれば、「人材一千人の正義の陣列」となる。
 ゆえに、大きい数字などに浮き足立つ必要は何もない。一人また一人と、新たな青年を大切に糾合していくのだ!
 その先に、必ず勝利があることを確信し、一致団結して、出陣したのである。
4   わが友と
    築きしこの道
      悠然と
    語り楽しく
      この世送らむ
 実は、私が部隊長になるまでは、部隊には皆で団結して戦う雰囲気は乏しかった。せっかく弘教を実らせても、指導や激励の怠慢から、組織から離れてしまう新入会の友も少なくなかったのだ。
 私は悔しかった。どの青年たちも、一度は真剣に仏法を求めて入会したはずである。
 ところが、妙法の大功力も知らない。戸田城聖先生という大師匠も知らない。学会青年部となった大使命もわからない」それでは、あまりにもかわいそうだ。
 断じて「師弟直結」の人材の陣列をつくるべく、私は真剣に戦った。
 第一に、「人材を見つけること」に心を砕いた。
 それは、部員一人ひとりをよく知ろうとする、誠実な努力に尽きるといってよい。
 たとえ、世間には浅薄な人間関係でよしとする風潮があろうが、学会は違う。
 名前を知り、顔を知ることは当然として、あらゆる機会をとらえてい語り合うのだ。耳を傾け、励ますのだ。
 共に悩み、共に祈るのだ。
 共に動き、共に戦うのだ。
 その人を知れば知るほど、「必ず広布の人材にしていこう!」「必ず師匠に縁させていこう!」と、祈りは深まる。
 この深き祈りこそ、「人材・拡大」の原動力である。
 第二は、「皆に誇りをもたせること」であった。
 なんであれ、張り合いがなければならない。また、いい意味でのプライドは必要だ。″負け犬根性″では、いつまでたっても勝てないからだ。
 ゆえに私は、「第一部隊」という名の通り、「すべての戦いに『第一』になろう!」と訴えた。
 そして、「第一」をめざし、結果を出している人、さらに陰で「第一」の奮闘をしている人を見つけては、心から賞讃していったのである。
 第三に、「戦いのリズム」を大事にした。
 私は、日曜日には、できる限り、大田区山王のアパートを開放し、指導を受けに来る同志たちを迎えた。その激励と懇談の場が、自然に、勝利への作戦会議ともなっていった。さらに、毎月一回の部隊会を軸とし、一カ月の戦いの決着と次の出発の節目としたのである。
 「広布第二幕」の今、男女青年部にとって、毎月の「青年部幹部会」が、勝利また勝利、前進また前進の回転軸となっているのと同じ方程式である。
 第四に、地道な教学の研鑽によって、「確信」と「言論の力」を鍛えた。
 わが家に集ったメンバーと一緒に、「観心本尊抄」「撰時抄」「当体義抄」「如説修行抄」「顕仏未来記」などの重書を学び、日蓮大聖人の民衆救済の大闘争と大哲学を、生命に深く刻みつけていった。
 ともかく、部隊として、着実に勉強会を重ねた。
 戸田先生から私が訓練を受けたように、わが部隊では、読書の伝統もつくった。
 皆、このなかで、「読む」「書く」「話す」力をつけていった。どこへ出ても通用する言論の力である。
 部員は、組織の「兵隊」ではない。皆が広布のリーダーとなり、社会の勝利の指導者となる大使命があり、大福運を積んでいるのだ。
5   勇敢な
    地涌の菩薩の
      戦いは
    連戦連勝
      万年先まで

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