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日蓮大聖人・池田大作

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創刊55周年を祝す 正義の獅子吼こそ聖教の魂

2006.4.20 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
5  インドの独立の父マハトマ・ガンジーもまた、言論史に輝く「インディアン・オピニオン」や「ヤング・インディア」などの新聞を創刊した。
 そして、激務のなかを、自ら書いて、書いて、書きまくり、新聞の力で、自身の思想を訴え、民衆を鼓舞し続けていった。
 私が対談しているガンジー記念館の前館長であるラダクリシュナン博士も、その姿を、感動を込めて偲ばれていた。
 ガンジーは、右手で書き続け、疲れてくると、今度は、ペンを左手に持ち替えて、書き抜いたというのである。
 インドの国家的事業として編纂された『ガンジー全集』は、百巻にも及ぶ。その膨大な内容の多くが、実は新聞に掲載されたガンジーの論説や談話で占められている。
 まさしく、ガンジーは、生涯、「新聞で戦った」言論の闘士であった。
 かのロシアのトルストイも、ガンジーから送られてきた新聞を手にして、その非暴力の行動を知り、喜んでいた一人であった。
 今、世界の多くの良識も、聖教新聞の主張に、心からの共鳴と賛同を寄せてくださっている。
 ガンジーは述懐した。
 "非暴力の運動は、新聞なくして実現不可能であった"
 私も、「聖教なくしては、広宣流布はできない!」と高らかに宣言したい。
 仏法の真髄中の真髄を、現代の世界に展開しゆく聖教の拡大は、それ自体、大折伏に通ずる。功徳も計り知れない。
6  大聖人は、御自身を「仏の御使」「法華経の御使」等と仰せられた。
 また、御書には、大聖人と各地の弟子を結んで走った、意義深き"使いの方々"の存在が随所にうかがわれる。
 「使いの方が帰りを急いでいますので、この返事は夜に書きました」(御書九八二ページ、通解)と、末尾に記された御手紙もある。
 その使者は、書き上がった御返事を受け取るや、早朝、山道を下りて行ったのであろうか。大聖人の大事な大事な御手紙を、つつがなく届けることこそ、自分の重大な使命なりと、足を急がせたにちがいない。
 ともあれ、自らの健脚をもって走り、御本仏と弟子たちの心を通い合わせた誉れの走者が、厳然とおられたのである。
 現代においても、その方程式と同じように、歩きに歩き、また走りに走って、聖教新聞を配達してくださる、無名の偉大なる皆様方がありてこそ、広宣流布は前進しているのである。
7  本年の一月より、東京を最初として、北は北海道から南は沖縄まで九会場で、各界のトップリーダーを、来賓として多数お迎えし、創刊五十五周年の祝賀会が開催された。
 心温まる数々の激励を頂戴し、感謝に堪えない。
 そのなかで、ある識者は、「聖教新聞の大発展は、池田名誉会長が、配達員さんを一番大事にし、一番讃嘆されているからだと思います。第一線で、現場で戦ってくださっている方を最も大切にする、そこに発展の因があることを教えてくださっています」と語っておられたそうだ。
 有り難いご理解である。
 ガンジーは、「新聞雑誌の唯一の目的は奉仕でなくてはならない」(『ガンジー自伝』蠟山芳郎訳、中央公論社)とも言った。
 最前線で奮闘される最も大切な尊き庶民のために、聖教は、一日ごとに勇敢に戦い続けていかねばならぬ。その使命を、我々は決して忘れてはならない。
 私も聖教を通して、万年の広宣流布のために、遺すべきことは、すべて叫び抜いておく決心である。
 アメリカの著名な公民権運動家バージニア・ダー女史は叫んだ。
 「正義の人びとが団結するならば、必ず波を起こすことができるというのが、私の不動の信念です」(Freedom Writer: Virginia Foster Durr, Letters from the Civil Right Years, Edited by Patricia Sullivan, Routledge)
 聖教新聞は、正義の我らの「異体同心」の結合の力である。
 聖教とともに、春の旭日が昇りゆくごとく、今日も、我らは「希望」と「勝利」の光の波動を広げゆくのだ!

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