Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

勇敢なる信仰 広宣流布の正義の大城を守り抜け!

2005.8.1 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
3  法華経には、「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」(法華経一三〇ページ)云々とある。仏(師匠)が衆生(弟子)を自分と等しき大境涯に高めることが仏の願いである。この心に応えて、弟子たちが立ち上がるドラマが展開されていくのである。
 師と弟子が不二になる――「師弟不二」こそ、法華経の精神を具現した尊き姿だ。
 そして、異体同心の究極もまた、「師弟不二」であるのだ。
 これまでも、何度も語ってきたが、戸田先生の事業が窮地に陥った時、私は、人間の暗い業ともいうべき忘恩の姿を、嫌というほど眼前に見た。
 昨日まで、殊勝げに「戸田先生、戸田先生」と言っていた人間が、罵声を浴びせて去っていった。
 そこにあるのは、我が身かわいさの保身であり、師弟の世界は微塵もなかった。
 卑怯な心、卑劣な生命が、毒を撒き散らしながら、残っているだけであった。
 だが、私は、退転者が出れば出るほど、学会を非難中傷する者が多ければ多いほど、深い使命と深い決意と崇高なる信心の炎を光り輝かせ、強く燃やし始めた。
 周囲がどうあれ、御本尊の前で決意していた。
 ――私は一人、人生の師をお守りするのだ!
 いかなる苦難があろうとも、いかなる法難があろうとも、いかなる障魔があろうとも、私が戦い抜いて、師をお守りするのだ!
 これが、美しくも強い不二の師弟であった。
 私たち師弟は勝った。あの悪戦苦闘の怒濤を突き抜け、戸田先生と私は、新しき太陽が燦々と輝く、勝利の朝を迎えることができたのだ。
 戸田先生が、私たち青年に読むようにと言われた、ビクトル・ユゴーの『九十三年』の一節に、こうある。
 「わたしの考えは、いつも前進するということです」
 「つねに、夜明けのほうを、開花のほうを、誕生のほうを見ようではありませんか。落ちるものはのぼるものを勇気づけます。老木のたおれる音は、新しい木に呼びかける音なのです」(『九十三年』下、榊原晃訳、潮出版社)
 この言葉は、今もって私の脳裏から離れない。
4  1957年(昭和三十二年)、私が、全く無実の選挙違反容疑で逮捕・勾留された大阪事件は、生涯忘れることはできない。
 出獄の七月十七日。
 この日、正義の怒りに燃えた全関西の同志は、続々と中之島の中央公会堂に駆けつけてくださった。
 「大阪大会」である。
 権力の横暴を許すな! 正義の学会を迫害する、傲慢な魔性の壁を打ち砕け!
 この偉大な常勝関西の心意気が、全国に共戦の炎を燃え広がらせたのだ。
 そして、この大阪大会には、東京をはじめ、埼玉や神奈川など首都圏からも、蒲田や文京支部、男子部の第一部隊の関係など、多くの同志が飛んできてくれた。
 中部から来た友もいた。
 そして、大阪支部、堺支部ゆかりの組織が、西日本を中心に、それはそれは、大波の如く動き、勝利の大海の道をつくってくださった。
 中国からも、四国からも、大勢の友が駆けつけた。
 長崎、宮崎など、遠き九州からも、尊き多くの同志は来てくださった。
 爆発的な大阪大会が終わった。立錐の余地なく超満員、外も多数の方々で埋まった。
 私が会場を出ると、一本の旗を掲げた十数人の同志がいた。長崎の友であった。公会堂に入ることができず、突然の豪雨に遭っても、外でじっとスピーカーに耳を傾けておられたのである。
 私は直ちに駆け寄り、一人ひとりの手を握った。
 ああ、なんと偉大な創価の同志たちよ!
 異体同心の勇敢なる信仰者たちよ!
 そこに広宣流布の大激戦があると聞けば、わがことのように勝利を祈り、勇んで駆けつけてくれる無名の闘士たちよ!
 涙が出た。熱い胸は、更に熱湯の如き胸中と変わった。
 また、たとえ大阪に来られなくとも、全国津々浦々で、私の無事を祈り、堂々と正義を叫んで立ち上がってくださった同志たちよ!
 私はその真心を、真剣な行動を、一生涯、忘れない。いな、三世永遠に忘れることができない。
 北海道の健気な乙女は、私が勾留されている間、ひたぶるに唱題を重ね、"正義の勝利のために断じて戦い抜きます!"と、わが家に決意の手紙を送ってくださった。今でも妻は、その手紙を大切にしている。
 私は、皆の真心に涙した。私の命は、私一人のものではない。ゆえに、私は、全学会員が幸福になるために、皆様の勝利のために、一生涯を捧げ抜く決心である。
 これからも、わが身を削りながら、断固として一日一日を戦い進んでいく決意だ。
5  あの日、私は、中之島の公会堂の壇上に上がる時、戸田先生より、小さな声で注意を受けた。それは、「調子に乗って、大言壮語はするな。すべてに気をつかって、淡々とした御礼の気持ちで、真心の挨拶をしなさい」と。
 胸の中で、私は驚いた。ああ、いい調子になって、大勢の方々への配慮も忘れて、長い話をすることは、確かに愚かなことだと、直感した。
 私は登壇すると、簡潔な挨拶をさせていただいた。
 「正しい仏法が必ず勝つという信念で、やろうではありませんか!」
 ともあれ、嬉しきことに、我らは、今日まで、この正義の勝利の歴史を綴り残してきた。
 「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし
 この御聖訓の通りに、異体同心の無敵の信心で!
6  大教育者ペスタロッチが、ある新年の出発にあたり、"今日は新しい団結の日"だと訴えたことは、大変に有名である。
 「子どものみなさん、青年のみなさん、大人のみなさん、どうか今日は、いっさいの悪に抵抗し、いっさいの善に味方する、心の勇敢な、精神の強い人間になってください。そうして一つ心、一つ精神になってください」(「新年講演」佐藤正夫訳、長田新編『ペスタロッチー全集』10所収、平凡社)
 私の願いも同じである。
 さあ! 我らの異体同心の使命の大城に、いついつまでも、勇敢なる大勝利の旗を掲げゆこうではないか!

1
3