Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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北多摩の凱歌の同志  

2005.6.12 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
6  この久米川の合戦に続く分倍河原(現・府中市内)の合戦で、初日、新田軍は苦戦を強いられる。しかし幕府軍は、極めて優勢に立ったにもかかわらず、追撃を怠ってしまった。
 この″空白の一夜″によって新田軍は劣勢を立て直し、翌朝、反撃に打って出て、形勢を逆転したのである。
 「戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊を取っておく将軍はほとんど常に敗れる」(O・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)とは、ナポレオンの名言だ。
 攻撃精神を忘れるな! 追撃の手をゆるめるな! 我らは、一日一日、妙法という大生命力の太陽を胸中に昇らせながら、常に若々しく戦い抜いていくのだ!
 ともあれ、新田軍は日に日に勢いを増していった。そして遂に首都・鎌倉に突入し、五月二十二日、幕府を攻め落としたのである。五月八日に挙兵して、わずか二週間後の決着であった。
 新田軍の勝因の一つは、何といっても、義貞の「電光石火」の指揮であろう。「もはや立つ時!」と決断するや、猛然と打って出た。その勢いに、彼自身の予想を超えて、各地から続々と加勢が集まり来った。勢いが「味方」をつくるのだ。「戦いを起こすスピード」も、「進撃のスピード」も、「追撃のスピード」も速かった。まさに勝敗を決するのは「勢い」であるからだ。
7  わが学会もまた、このスピードで勝ってきた。攻め込む勢いもスピード。悪への反撃もスピード。友の悩みに、敏感に反応するのもスピードである。
 一九六九年(昭和四十四年)七月六日のことである。信濃町の学会本部で、一人の婦人が叫んだ。「先生、村山にも来てください!」
 必死の声に、私は即座に反応し、村山会館(現・村山緑が丘会館)に飛んで行った。今日の武蔵村山市内である。結局、この日、私は、北多摩を走り抜き、村山、立川、小平、小金井、そして中野区の、全部で五会館を休みなく駆け回ったのである。後年、私は、東村山の文化会館にも、東大和、武蔵村山の文化会館にも、寸暇を惜しんで走った。
 いつか東久留米にも、清瀬にも行きたい。北多摩に、わが尊き同志が、たくさんおられるから! そこに、広宣流布と真の平和の戦野があるから!
 大聖人は仰せである。「只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき又法門を以ても邪義を責めよ
 断固と、正義の言論戦だ。さあ! 新しき五十年へ、幕は開かれた。決然と、新しき広布の英雄が躍り出て、戦う舞台は待っている。
 苦悩と戦い続けたべートーベンは、誇り高く語った。「困難な何ごとかを克服するたびごとに私はいつも幸福を感じました」(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山俊彦訳、岩波書店)
 すべての壁は、自身の可能性を広げる試練なのだ。今の自分から、新たな自分への飛躍台なのだ。
 わが信頼する村山の同志よ、眼前の壁に立ち向かえ! いな、打ち破れ! 一日また一日、その勇気の挑戦だ! 汝自身が、五倍、十倍と生き抜く、価値ある歴史が創られていくのである。疾風迅雷の進撃で、「多摩革命」を! 正義と誠実の対話で、「東京革命」を!
  大東京
    勝利 勝利の
      夜明けをば
    村山立ちて
      ついに迎えり

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