Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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七月十一日 師弟の記念日  

2004.6.30 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

前後
3  あの男子部の結成式には、約二百人が集った。席上、四部隊の体制が発表されたが、一部隊は数十人であった。まことにまことに、小人数の陣容から始まった。
 皆が若くして貧しかった。若くして苦しい生活の中で、さらに若くしてあらゆる苦悩を身に受けながら、決然と彼らは立ち上がった。
 この人数で、今日の二百七十三万人の正々堂々たる男子青年部の陣列になるとは、誰が思ったか。そして、女子青年部百六十七万人を合わせ、世界的な青年部四百四十万人になるとは、誰人たりとも、想像しなかったであろう。
 多くの人が、ありとあらゆる非難悪口を浴びせてきた。
 「あの軍隊式の時代遅れの集団など、全滅するだろう」等々、無理解な中傷誹謗は、枚挙にいとまがなかった。
 中国の大革命家・魯迅は言い残した。「苦しみに耐えて進撃する者は前へ進み、すでに革命した広大な土地をあとに残していく」(「滬寧奪回祝賀のかなた」須藤洋一訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社)と。
 男子部結成の当時、私は二十三歳。青年部の役職は「班長」であった。
 どこかの皇帝から賜った勲章よりも――まったく社会的な栄誉はない、広宣流布のための「班長」の任命の尊さを、私は誇り高く噛みしめて立ち上がった。そして、戦い抜いた。
 私は死を覚悟して戦った。
 断じて、大師匠の悲願である、創価七十五万世帯の突破口を、必ず開いてみせると!
 この組織の最前線に燃え上がった炎の闘魂が、日本国中の若き地涌の同志に、電波の如く、鋭く深く、波及していったのである。
 人数ではない。役職でもない。
 まず一人だ! まず一人である!
 決意深き一人の青年の胸に、「創価」の誇りが燃えているかどうかだ!
 その不滅の炎が、次の一人、また次の一人へと、燦々と燃え広がり、広宣流布の大波となっていくのだ。
4  六月三十日は、戦う知性の学生部が誕生した日である。
 一九五七年(昭和三十二年)の六月三十日、東京・麻布公会堂で行われた結成大会には、清き瞳の女子学生六十人を含め、英知の光る五百人の学生が結集した。関西や東北の英才たちも、馳せ参じた。
 師・戸田先生は、「嬉しい、嬉しい」と最大に喜ばれた。
 弟子の私は、この時、「三類の強敵」との熾烈な大闘争の最前線にあった。
 北に「炭労問題」が荒れ狂い、西に「大阪事件」が惹起していたのだ。
 私は、北海道の転戦の渦中から、地涌の学徒たちへ万感の祝電を贈った。
 「新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会、おめでとう! 会長先生のもとに勇んで巣立ちゆけ」
 以来、四十七星霜――。
 今や、わが学生部の友は、日本全国の国公立百四十大学・短大、私立七百二十大学・短大等に学んでいる。男子学生は五万人、女子学生は三万人にわたる、二十一世紀の使命の学友の連帯が堂々と構築されたのだ。
 そのスクラムは、アメリカ創価大学をはじめ、世界へと一段と深く拡大している。
 嬉しいことに、私が名誉博士・名誉教授の栄誉を拝受した、世界五大州、百六十の大学・学術機関のなかで、学問の探究に励んでいる、学生部出身の若き俊英も少なくない。
5  学生部、さらに女子部、そして男子部の大切な後継の君たちよ!
 いかなる立場であれ、いかなる境遇であれ、誰が何と言おうが、どうか死力を尽くしてきた私と同じ覚悟で、新しき広布の戦線の前途を、切り開いていってくれ給え! 
 絶対に後悔なき人生であってくれ給え! 
 若き哲学者が叫んだ。
 「人間の力と活動性は、行動をともにし、苦難をわけあっていると感ずることのできる生活圏が拡大するのに比例して、増大するのである」(「弟へ」志波一富訳、『ヘルダーリン全集』4所収、河出書房新社)
 その通りだ。
 君よ、朝の崇高な決意の祈りの歌と共に、立ちあがれ!
 音楽のような笑い声で、敵の中に進みゆけ!
 そして、大仏法の燃え上がる思いで、多くの中傷や嫉妬や虚言を打ち払いながら、勝って、勝って、勝ちまくれ!
 君の正義の闘争の、勝利の夜明けの彼方には、悔いなき胸を躍らせゆく、栄光と至福の無限の歓喜の境涯が広がり待っているのだ。
 君は、勝利の若き皇帝だ!
 過ぎ去る日々も、未来の運命も、君の生命の不滅性と同じく、勝利と幸福で飾れ!
 君たちよ!
 力強い歓喜に満ち満ちた、若き正義の巨人の生命を光り輝かせていくのだ!

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