Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ラダクリシュナン インド・ガンジー記念… 恐れをたたき出せ

随筆 世界交友録Ⅱ(後半)(池田大作全集第123巻)

前後
4  「師よ父よ、わが戦いを見守りたまえ」
 六〇年代、政府が各大学に軍事訓練を強要しようとした。ラマチャンドラン博士は毅然として拒否した。「断じて学生に銃を取らせたりしない。たとえ私が最後の一人になっても抵抗する」
 亡き師ガンジーは、「青年よ! 非暴力の戦士となれ!」と願ったのだ。その心を、どうして裏切れようか。
 マハトマの直弟子の博士は、九十歳まで闘争を続けた。
 最後の言葉は、「わが肉体は滅ぶとも、わが心はつねに皆とともにある。ともに働き続ける。ゆえに、私と『同じ心』で働き続けてほしいのだ!」であった。
 私の恩師(戸田第二代会長)も厳愛の人であった。「よき弟子になったとき、師弟が定まる。師弟とは弟子の自覚の問題である」と、鋭い口調で語っていた。
 ――師よ、父よ、わが戦いを見守り給え。ラダクリシュナン博士はガンジー主義の伝道者として世界を駆けた。
 “さあ「後継の歴史」をつくろう!”と。
 「平和部隊」の活動では、青年とともに勤労奉仕や救援活動を続け、平和の戦士を実地訓練した。ガンジー以来の「差別との戦い」では、生命を危険にさらしてきた。
 九二年、ガンジー記念館を私は訪問した。ガンジーが“最後の百四十四日”を過ごした旧ビルラー邸である。館長の博士が案内してくださる。一階の一番奥に、質素な日用品とベッドだけの部屋があった。
 ここでマハトマは最後の断食をした(六日間)。インドの同胞が血を流しあうのに苦悩したあげくだった。
 マハトマの名を口にする民衆は多かったが、マハトマの心を知る民衆は、あまりにも少なかった。
5  「歩め ひとりで……歩め ひとりで」
 彼はタゴールが作った歌を、しばしば口ずさんだ。
  呼べど応える人なくば、歩め ひとりで
  恐怖で語る人なくば、語れ ひとりで
  人みなが踵を返して逃げ去れば、歩め ひとりで……歩め ひとりで
 (森本達雄『ガンディーとタゴール』第三文明社)        
 部屋から外へ、小道が続いていた。祈りの集いに向かった、ガンジーの最後の足跡が、一歩一歩、そのまま、かたどられていた。
 博士とともに、道をたどった。
 ニューデリーの青空は燦爛と輝き、緑の樹々の影が濃かった。
 短い小道が、長く感じられた。
 マハトマが、今も歩き続けているような感に打たれた。
 民衆の真っただ中へ。そして果てしない未来へ向かって。今も、その巨歩は晴ればれと、前へ前へ運ばれ続けている。
 「大いなる魂」は生きている。事実ここに、孫弟子にして、若き“分身”の博士が厳然としておられるではないか。
 記念館の庭に出ると、インド創価学会の友たちが、はつらつたる太陽の笑顔で待っていた。

1
4