Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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リー・クアンユー首相 シンガポール建国の父

随筆 世界交友録Ⅱ(後半)(池田大作全集第123巻)

前後
4  首相が十八歳のとき、シンガポールは日本軍の手に落ちた。三年半「生き地獄」が続いた。無差別な暴行。何万人もが虐殺された。義弟も射殺された。リー青年も、あやうくトラックに乗せられて処刑場へ連行されるところだった。命からがら難を逃れた。
 あるときは、日本兵に、何の理由もなく殴られたという。こういう屈辱のなかから、青年は立ち上がったのである。絶対に、だれにもバカにされない、だれにも左右されない国をつくるのだ、と。
 青年の胸には、いつも炎が燃えていた。留学生の身で、ケンブリッジ大学を首席で卒業もした。しかし、血涙の苦労で勝ちとった繁栄を、若い世代は、当たり前のように思っている……。
 シンガポールには、人材以外に資源はない。「成功への決定的な要因が人材にあることを理解していたからこそ、われわれは成功したのだ」(『シンガポールの知恵』斎藤志郎訳、サイマル出版会)
 人材とは何か。能力だけでは足りない。献身の心が燃えていなければ。
 「国をつくるには、情熱が必要です。自分のための計算――プラスかマイナスか、損か得か――そんな計算ばかりしている人間は失格です」
 建国の第一世代は「まず民衆のため」であった。汚職も絶対に許さなかった。しかし次の世代は「まず自分のため」になりがちだと首相は心配しているのである。
5  「王冠を捨てよ! 人間を救え」
 首相にお会いした翌日、私は地元の友に、シンガポールの伝承を語った。
 昔、一人の若き王が、新しき都を求めて、同志とともに航海に出た。美しい島影を前に、嵐に見舞われ、船は沈みかける。船を軽くするために、捨てられるものは全部、捨てた。それでも沈没は続く。残るのは、王の頭上に輝く重い宝石の王冠のみ。
 王は皆を救うために、ためらいなく冠を荒れ狂う海に投げた。すると、たちまち嵐はおさまり、全員が無事で、シンガポールの島に着いたという。
 「王冠を捨てよ! 人間を救え」。王冠とは、リーダーの利己心のことであろう。
 首相にとって、権力の座も目的ではなかった。手段にすぎなかった。早くから、後継の育成に全力をあげ、九〇年、若きゴー・チョクトン首相にバトンタッチした。
 しかし、その目は今も、愛する国民の未来を見つめて、爛々と光っている。
 「自分が死ぬことになり、棺桶が墓場に下げられた瞬間でも、もしシンガポールの政治が間違っているならば、ただちに起き上がって正す」(岩崎育夫『リー・クアンユー 西洋とアジアのはざまで』岩波書店)と。
 この気迫。この執念。
 私にも、「青年たちには、ただ『平和と繁栄の二十一世紀』を満喫してもらいたい。それこそが私の念願なのです」と、強く強く語っておられた。
 建国の厳父の獅子奮迅――その姿を忘れぬ限り、「獅子の都」シンガポールは、栄え続けるに違いない。

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