Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ソニア・ガンジー女史 ラジブ・ガンジー元首相夫人

随筆 世界交友録Ⅱ(後半)(池田大作全集第123巻)

前後
5  ジャングルの掟よりも残酷に
 インドの若き英雄――氏への個人攻撃は激しかった。氏は令嬢のプリヤンカさんに書いた。「現実世界というのは、まるでジャングルのようなものだ。しかし公的人生を送る人間にとっては、ジャングルの掟でさえ通用しない」
 つくり話や裏切り。「蓮華」を泥まみれにするための策動が続いた。大きなダメージを受けた。「クモの巣につかまった」格好だった。
 あまりにも、氏は純粋すぎたのかもしれない。
 しかし、人がよいことは罪であろうか。高貴に人を信ずることは罪であろうか。
 五年一カ月の在任の後の下野(八九年十一月)。命の危険はさらに強まっていたにもかかわらず、新政府は氏の警護を弱めてしまったという。痛恨のことであった。
 亡くなる三カ月前。九一年の二月、二十三年目の結婚記念日を、氏はどうしても、ソニア夫人と一緒に過ごしたいと言った。氏の選挙区に入る夫人の予定までキャンセルして、氏はイランのテヘランに夫人を同行させた。
 二月二十五日の午前零時になると、夫はプレゼントをくれた。公式行事のあとには、レストランへ行った。何年かぶりだった。ホテルに戻ると、夫はカメラを取り出し、セルフタイマーで二人の写真を撮った。そんなことは初めてだった。
 最後になった、夫人の誕生日の祝いに、氏は書いた。
 「時が変えるどころか、(ケンブリッジの)バーシティの二階の隅に座っていたのを初めて見たとき――あのすばらしき日よ――そのときよりもさらに素敵になった妻に、私の永久の愛とともに贈る」
 五月、激しい選挙戦も終わりに近づいていた。大勝利と首相再任は確実だった。五月二十日。「あと、もう二日で終わるよ」、明るく言って夫は出かけた。
 カーテンの陰から、姿が見えなくなるまで見送った。それが最後になった。
 五月二十一日の午後十時二十分。南インドの小さな町。テロリストの爆弾で、インドと世界の希望は吹き飛ばされた。
 その人さえいれば――そう思って、ここまで来た。その人さえも奪われた。夫人の思いを、だれが知ろう。
 されど、こよなき悲しみは、人を天に結ぶ。心が押しつぶされそうな苦しみの底で初めて、宇宙の奥の奥にある生命の真実がわかってくる。ひとたび聖なる苦しみの杯を飲みほした人は、虚しい現世の騒ぎには心を動かされなくなる。
 ラジブ氏はインドの大地に帰っていった。氏はインドと一つになった。行く雲も氏の顔だった。吹く風も氏の声だった。
 氏はインドに溶けこみ、夫人の命に溶けこんだ。その人は宇宙そのものになった。どこにでも、その人はいた。そして、その人ゆえに、すべては神聖になった。――きっとそうだったと私は思う。
 人生、最高の生き方とは、一番、大切な人が亡くなったとき、一番、高貴で勇敢な信念をもって立ち上がることではないだろうか。
 夫人の私邸。私は言った。
 「ソニア夫人が悲しめば、ご主人も悲しまれるでしょう。夫人が笑顔で立ち上がれば、ご主人も喜ばれるでしょう。
 前へ、また前へ進んでください。振り返らないことは、とてもむずかしいことです。無理なことかもしれません。けれども偉大な人は、あえて足を踏み出す人です。
 お国の釈尊は、『現在と未来』を見よと教えました。すべては『これから』です。いつも『これから』なのです。前進のなかに勝利があります。栄光があります。幸福があります。一番、悲しかった人が、一番、晴れやかに輝く人です。悲しみの深かった分だけ、大きな幸福の朝が来るのです」
 語らずにおられなかった。言葉の意味が、たとえ通じずともよい。ご一家の幸福を祈る、この心さえ通じればいいのだ。
 夫人は、私の目を見て、にっこりとうなずいてくださった。
6  私は生きる 彼がめざしたあの星に向かって
 現在、夫人は「ラジブ・ガンジー財団」をはじめ、七つの財団の総裁である。
 婦人と子どもたちの健康のため、テロの犠牲になった家族の救済のため、その他、ラジブ首相が見つめていた「二十一世紀のインド」のために、全力で行動しておられる。
 宿命を使命に変えて。
 「母は」――お母さまがいない折、プリヤンカさんが私に言った。
 「母は、生まれた国を二十一歳で捨てて、インドの大地にみずからを置きました。それは父がいたからです。父亡きあとも、これは今も変わりません。
 世間で、いろいろやかましく書かれていますが、母の願いはただ、父の成したことを後世に正確に伝え、遺品等をしっかりと保存することです。母の心は、ただ父を顕彰し、後世に伝えることしかないのです」
 夫人は「未亡人」ではなく、魂の「後継者」なのだ。
 すばらしいカメラマンでもあった首相の写真の展示会を、私はお願いした。写真を通して、首相の豊潤な人格を多くの人々に伝えたかった。「文化交流」を大切にされた首相のお気持ちにもかなうと信じた。
 父親ゆずりで写真好きのプリヤンカさんが、一万三千点のオリジナルフィルムのなかから二百点を厳選してくれた。カタログの監修、レイアウト、基調色ごとに配列した独創的な展示会の構成。全部、プリヤンカさんの努力の賜だった。
 そして開幕式(九六年四月)であいさつしたのは令息のラフル氏。スピーチの頭上では、故首相の肖像写真が見守っていた。
 「ご兄妹の力でできた写真展です。お父さまが、どれほど喜ばれていることでしょうか」
 ソニア夫人に言うと、夫人は「じつは、これまでは遺品に関するものを、他の人と分かちあう気にはなれなかったのです」。正直なお言葉だった。私には、よくわかった。ラジブ氏に関することは、どんな小さなものも、すべて夫人の命そのものなのだ。
 「でも、池田先生から写真展のお話をいただいたときには、心が動きました。きょう、この目で展示会を見せていただき、私が開催を決めたのは正しかったと、あらためて確信しました」
 信じてくださる、そのお心がうれしかった。
 ご一家は、民衆のため、人類のために戦い抜いてこられた。犠牲になってこられた。人類の民の一人として、どうして、このご一家を守らずにおられようか。
 「偉大なるガンジー首相の生命は、ご家族の皆さまに受け継がれています。早く亡くなった父の寿命は、その分、家族に受け継がれ、家族が長生きし、守られ、幸福になっていく――仏法では、そう願うのです。
 お国の釈尊が説いた仏法です。目には見えなくても、首相の命は、ご一家を厳然と守っておられると信じます」
 「月の沙漠」の曲が私は好きである。金の鞍に、銀の鞍。王子・王女が乗って、はるばると月光の砂漠を越えていく――。ガンジーご夫妻を思うたび、この曲を想う。
 仏法では「三世一念」と説く。この「今」の一念のなかに、過去も現在も未来も全部、つつまれている。永遠といっても、この今以外にないのだ。
 今、夫人は、ご一家は、前へ前へ、ラジブ首相とともに、首相のめざした星に向かって、人生の旅を続けておられる。はるばると、金と銀との夢に乗って。
 その「今」こそ永遠である。永遠のご一家である。永遠の夫妻であり、永遠の父子である。
 ご一家の行く手を、勝利の月光、日光が優しく照らしゆくことを祈らずにいられない。

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