Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世界的物理学者 銭偉長上海大学学長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
5  「時を空しく使うな」と父の声が
 中学校入学の日、霧雨が降りしきっていた。見送りの父と、一本の破れた傘に入り、船に乗った。体をこわしていた父は、せき込みながら、とぎれとぎれに話した。
 「家がどんなに苦しくても‥‥わしは何としても、お前に勉強させてやりたい。お前も、しっかりと努力するんだぞ。‥‥決して、時を空しく使うな。だれにしたって‥‥苦しいなかを頑張り続けて、初めて、ことを成就できるのだ。忘れるな」
 父の言葉は、はからずも遺言となった。
 父は、まもなく三十九歳の若さで倒れ、この日の別れが永別となったのである。
 学長夫人が語ってくださった。
 「文革が終わって、迫害は、ほとんどなくなったものの、冤罪が晴れたのは八三年。(五七年から)二十六年間の道のりでした。
 当時、自殺したり、離婚したりと、悲惨なことが周囲に、いっぱいありました。
 でも私たちは幸せなことに、夫婦ともに学者であり、集中できる学問と精神世界がありました。(夫人は中国古典文学が専門)
 そして、夫婦も、親子も仲が良かったことに助けられました。どんなに迫害されても励ましあい、助けあって生きてきたのです」
 お子さんも皆、苦労を重ねて勉強し、現在、立派に活躍されている。
6  「日本の国家主義が残念」
 銭学長と私は、時を惜しんで語りあった。
 周総理の「人の心を知る努力」について。金庸氏(中国の文豪)、ノーマン・カズンズ氏など共通の友人について。東洋文明について。そして古代の歴史から中国の現代史にいたるまで、話題が尽きなかった。
 語れば語るほど、該博な知識と、海のように広いお心がわかった。
 「私は日本の人民の感情を傷つけたくはありません。しかし、あえて言いたい。日本は若い人に正しい歴史を教えるべきです。
 中国と日本が力を合わせて、偉大なる東アジアを建設すべきです。唯一、残念なのが日本の国家主義なのです」と強く強く話しておられた。
 その場所は、上海大学の中心キャンパス。かつて日本軍の攻撃により破壊されつくした場所であった。
 学長に就任して以来、銭先生は、時代の急速な進歩を先取りすべく、かつての理想そのままに上海大学を改革し、着々と成果を上げておられる。
 今、昇龍のごとく栄えゆく中国。生涯かけて追い続けてきた新世紀が、ようやく見えてきたのだ。
 学長は決意しておられる。
 「生ある限り、夜を日に継いで働とう! たとえ、わずかであろうと、私自身の流した汗を、祖国の怒涛のごとき発展の大河に注ぎこむのだ!」
 今、との意気で働いている日本の指導者は、どれだけいるであろうか。
 偉大なるかな、立ち止まらぬ人生。
 学長が自分の活動を紹介した文章のタイトルは、「疾駆前進」であった。
 (一九九七年七月二十日 「聖教新聞」掲載)

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