Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ノーベル平和賞の人権活動家 エスキベル博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

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3  青年よ、傍観者になるな!
 博士は、機械あるごとに叫ぶ。
 「青年よ、傍観者になるな! 参加者になれ。人生のドラマの主体者になれ。そして歴史の主役になれ。不正を見抜く批判力をもて。動き、そして人々と連帯せよ」
 だれかがやるだろう──そんな無責任は、自分自身の精神の敗北である。
 「変革は怒りから生まれる」と博士は信じている。ゆえに、もっと怒らなければならないと。
 そう、怒るべきなのだ。気高き人に石礫が投げられたなら。
 怒るべきなのだ。まじめに働く庶民が踏みつけにされたら。
 怒るべきなのだ。世界のだれであれ、人間を差別する者がいたならば。
 血を逆流させて怒れ、善意の人々よ。声を張り上げよ。嘘つきどもの拡声器よりも、もっと高く、もっと声をそろえて。「そんなことは、やめろ!」と。
 あきらめと無力感、人権を侵害されることへの慣れ──民衆の「心の空虚さ」ほど権力悪にとって都合のいいものはない。
 獄中の苦闘をとおして、博士は、キング牧師(アメリカの公民権運動の指導者)の言葉を、かみしめた。
 「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である」
 かかわり合になりたくない──そういう道徳的無関心が社会にはびこるとき、悪は存分に黒い翼を広げることができる。傍観者は結果として、悪の共犯者になってしまうのだ。
 創価学会の牧口常三郎初代会長は、牢獄の中で、囚人に問いかけた。
 「悪いことをするのと、善いことをしないのは、同じか、違うか?」
 それは同じである、善と悪に中間はない、というのが初代会長の哲学であった。
 エスキベル博士は十四ヵ月後に釈放されたが、その後も、監視が離れなかった。
4  あえて茨の道へ
 正義に無頓着な大衆よりも、一人立つ正義の人が強い。
 博士は本来、著名な彫刻家であり、画家である。
 その信念は「大衆の喜び、悲しみ、苦しみをともに感じて、それを形にするのが芸術家である」。アマンダ夫人は音楽家。
 私は、胸の思いを率直に申し上げた。「ご夫妻は、芸術家の道だけを、そのまま歩んでおられたら、静かで平穏な人生だったかもしれません。しかし、あえて波乱多き人権闘争の人生を選ばれた。不幸な人を救うために立ち上がった。立ち上がれば、批判もあります。圧迫もあります。しかし、あえて茨の道に入っていかれた。すばらしい歴史です。権力と戦い抜いた人生は黄金です」
 八〇年、博士にノーベル平和賞が決定した。人権闘争への大きな追い風だった。私は聞いてみた。
 「博士の受賞を一番、不愉快に思ったのは、博士を迫害した権力者たちではなかったでしようか」
 「もちろん、そのとおりです。受賞に対し、彼らが一番抵抗し、反対しました」
 国内のマスコミも、博士の行動の真価や国際的評価については沈黙し、あるいは歪曲し、批判を繰り返したのだという。
 離日される前、博士から私に伝言が寄せられた。
 「私は、私が信頼する人が非難され、悪口を言われ、圧迫を加えられているときは、その人に何も言いません。しかし、その人が、だれからも非難されなくなったときは、私は不満を述べるでしょう。
 ドン・キホーテの物語に、こうあります。『犬どもが吠えている。それはわれわれが馬にのって進んでいる証拠だ!』と」
 「戦う人」ならではの、まさに炎の言葉であった。
 (一九九七年一月十九日 「聖教新聞」掲載)

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