Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ぺレストロイカの設計者 ヤコブレフ博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
6  スターリンの死後も、スターリン主義は生き続けた。肉体的弾圧は減ったが、精神的な弾圧は陰険に制度化された。死の恐怖は薄れても、命令ひとつで、自分と家族の人生をめちゃくちゃにされる恐怖が支配していた。権力者は、その恐怖を十二分に利用した。
 「上の人間」の言いなりになり、自己主張せず、便利なタイプの人間だけが登用された。嘘を嫌ったり、何かを変えようと努力する人間は、地位を奪われた。
 これでは「あとは野となれ山となれ」の無責任が、はびこったのも当然である。
 体制順応主義と、あなたまかせの無気力。モットーは「他の人が生きるように生きよ」。
 これを、人ごととは思うまい。人ごとと思う心に、国家主義の毒が染み込んでいるからだ。「他国の人間のことだ。日本人には関係がない」「こんなソ連だから敵視したのだ」──他国の民衆への石のような無関心こそ「国家が上、人間が下」の毒に侵されているのではないだろうか。
 私は思う。
 じつは一人の人が抑圧されているとき、人類全体が抑圧されているのだ、と。
 世界のどこであれ、一人の人間の人権を踏みつけにするとき、そこにスターリンがいる。
 「下っば」に苦労させ、自分は命令するだけで甘い蜜を吸うとき、そこにスターリンがいる。金儲けのために嘘を書くとき、真実よりも良心よりも商売を優先するとき、そこに「彼」がいる。
 博士は嘆く。「権力を握ると、だれもが自分は普通の人間とは違うんだ、偉くなったと思ってしまいます」
 自分が「民衆以上」であるかのごとく傲りたかぶる人々──ドストエアスキーは、彼らにプーシキンの詩を引いて呼びかけた。
  謙虚なれ 高慢な人よ
  何よりもまず おまえの傲慢をおさえるのだ
  謙虚なれ 怠惰な人よ
  何よりもまず ふるさとの畑で働け
 (「ジプシー女」、アンリ・トロワイヤ『ドストエアスキー伝』村上香住子訳、中央公論社)
7  無宗教社会の悲劇
 そのドストエアスキーは、『カラマーゾフの兄弟』で、ゾシマ長老に語らせた。宗教を否定する者たちは、「結局は世界を血の海にするに相違ない」(小沼文彦訳『世界文学全集』32所収、筑摩書房)と。
 彼はスターリン主義と今世紀の悲劇を正確に予言していたと言えよう。
 もと党のイデオロギー担当だったヤコブレフ博士が今、「マルクス主義は無神論という名の新興宗教であり、国家宗教でした」と言って、はばからない。
 「神を殺す」社会は、やがて人間をも殺し始める。
 反体制の本を焼く社会は、やがて反体制の人間をも焼き始める。
 旧ソ連時代に、二十万人もの教会関係者が殺された。最近まで、信仰をもっているだけで変人とされ、社会的に差別される現実があった。
 トルストイは「教会は宗教の敵」としたが、彼らは「宗教自体を敵視」した。そして、宗教なき社会は、国家こその指導者を神の代わりにしたのである。だからこそ博士の言葉は重い。
 「今、なお、人間は戦争をやめず、犯罪をやめず、自然破壊をやめないでいます。真に誠実な人ならば、わかるはずです。今、一番の課題は、人間精神を救うことだと。今、一番大切なのは、そのための『精神のリーダー』だと」
8  「国家よりも人間を」
 九一年八月、保守派によるクーデター失敗の後のことである。
 氏は沸騰するモスクワの広場で演説し、話を、こう結んだ。
 「皆さまお一人お一人が幸福でありますように!」
 七十年間、「個人よりも国家」だった体制への決別を象徴する言葉だった。
 話し終わるや、思いがけないことが起こった。熱狂した人々が博士を取り巻いた。そして「胴上げ」を始めたのだ。
 「一人の人を幸福に」。その祈りにペレストロイカの心がある。
 博士は、ニーナ夫人との間に二人の、お子さんがいて、七人の、お孫さんがいる。しかし「今はもう、″地球上の子どもは皆、わが子″の思いですし、そう心がけています」。
 東京で博士を出迎えた子どもたちが博士の似顔絵を渡した。「私の顔が日本人になっていました。今も、執務室に大事に飾っていますよ」
 博士は創価大学での講演では、こう言われた。
 「私は人間主義を信じています! 人間性を信じています! 人間そのものを信じているのです!」
 今、地球を舞台にした劇が幕を開け始めた。
 「国家から人間へ」という壮大な劇が。
 日本も国家主義を捨てて、この人間主義の劇の参加者になれるだろうか。あるいは劇の傍観者にとどまるのだろうか。それとも破壊者になろうとしているのだろうか。
 (一九九七年二月二日 「聖教新聞」掲載)

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