Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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フランス政界の重鎮 ポエール上院議長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  自分より不幸な人を助けよ
 九死に一生を得た議長は、故郷の友人宅に隠れ、数日後、パリ行きの列車にまぎれこんだ。
 ある操車場で列車が停まった。
 そこに別の貨物列車が来て停まった。貨物車のはがれた板から、人影が見えた。子どもだった。それは強制収容所へ輸送されるユダヤ人の子どもたちであった。
 「死の待合室」である貨物列車──向かいあっての停車時間が、長く長く感じられた。悲憤が全身を走り、血管を焼いた。しかし、どうすることもできなかった。ただ、ファシズムへの闘志をさらにかきたてる以外になかった。
 この悪魔のナチスを命をかけて粉砕して見せる。必ず。必ず。それ以外の何も考えられなかった。
 後年、議長は中東のユダヤ人とイスラエル人への支援活動に献身された。あの子どもたちの姿が焼きついて、離れなかったのである。
 「人間は何のために地球上に生まれたのか。その意味を考えるべきです。人間は、自分より不幸な人を助けるべきなのです。それが人間としての責任であり、政治の使命なのです」
 議長は、貧しい学生時代にもパリの難民の救援運動を展開された。助けられた家族からは半世紀の後も毎年、手紙が届いたという。こういう方が政界のリーダーであったことは、何と幸福なことであろうか。
3  かくも高潔な議長は、政治の現状を憂いておられた。
 「今や『政治家』という言葉はもともとの高貴な意味を失い、悪い響きをもつようになってしまいました。たんに議席や地位をねらうだけというところまで目的観が下がってしまった。
 社会の課題に対しても、『こうすれば解決できる』という確信をもっていない。政策案はもっていたとしても、もっとも根本的な課題への思索や探究がない。変化の激しさに振り回されて、本質的な問題を考える心の余裕がなくなっているのです。
 『考えない』政治家ばかりになって、次第に『イメージ』だけに左右される傾向が強まっています。これは憂慮すべきことです」
 この世には、苦しんでいる人々がたくさんいるではないか! その人々を前に、何を自分のことばかり考えているのか。
 議長の怒りは、私にとって、ユゴーの声に重なる。
 ユゴーの国会議員としての仕事も、ほとんどこのリュクサンプール宮殿で行われた。
 ユゴーは叫んだ。議員らよ。あなた方は「最も気の毒な人たち」のためにいるのだ。その人々に「最も優しい愛情と尊敬」を、「最も激しく、最も悲痛な同情」を抱くべきなのだ。そうでないならば「おお! あなた方はとんでもない思いちがいをしている!」と。
 必要なのは「偽善的な言動や、嘘や、政治的なごまかし」ではなく、国民への「りっぱな手本であり、政府や議会の示す、正義と真実との偉大で高潔な実践なのであります!」(辻昶『ヴイクトル・ユゴーの生涯』潮出版社)と。
 党利党略や権謀術数の議会で、ユゴーは「人間」であり続けた。
 権勢の将軍に対して、こんな調子で質問したこともある。「権力者であるあなたに対し、思想人である私から、ひとこと言わせていただくのをおゆるしねがえるならば。‥‥」(アンドレ・モロワ『ヴィクトール・ユゴー《詩と愛と革命》下』辻昶・横山正二訳、新潮社)
 初会見のさい、見学した上院議場には「ヴイクトル・ユゴーの部屋」もあった。本会議場にも「ユゴーの席」が残されていた。机上には、詩人の横顔を彫った金の銘板がはめこまれていた。
 訪れたとき、私は、会長勇退の二年後(八一年六月)であった。「ユゴーも反対勢力によって流刑されたのだったね」。そばの友に語りかけながら、八十歳を超えてなお「戦い続けた」ユゴーの剛毅を私は思った。
4  ポエール議長も、永遠の闘士であられる。崇高な闘争の人生の結論として、議長が語ってくださった魂の言葉を、私は後世に残しておきたい。
 「人生には、生きていくうえでの基本の軌道、『道』が必要です。心のままに振る舞うだけではいけない。人生の不変の知恵を伝える宗教の必要性もそこにあります。確かな宗教をもつ人は、ドラマに富んだ人生を生き抜くうえで、他の人にはない力を得るのです」
 「他の人に奉仕し、自分を犠牲にすることは、結局、自分のためになります。ゆえに、エゴイストであってはならない。これが長い人生を振り返っての私の実感なのです」
 人生の満足とは。勝利とは。栄光とは。──私は思う。
 何があろうと戦い続けた、その信念の歴史にこそ「幸福」はある、と。
 (一九九五年三月十九日 「聖教新聞」掲載)

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