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日蓮大聖人・池田大作

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第30巻  

小説「新・人間革命」あらすじ

前後
3  【雄飛】
  4月21日午後、山本伸一は、創価学会第5次訪中団として北京に到着。この訪中で、故・周恩来総理夫人の鄧穎超が住む「西花庁」の訪問、北京大学での講演、華国鋒主席(国務院総理)との会見、桂林を経て上海では作家の巴金と2度めの会談を行った。
  29日、帰国の途に就いた伸一は、そのまま九州の長崎に向かい、ここから反転攻勢の大空へと雄飛していく。長崎、福岡と諸会合に出席し、同志の輪の中に飛び込み、5月3日を関西で迎えた。何度となく勤行会を行い、中部でも奮闘を続けて、計15万人を超える同志を激励する。
  そして7月には「忘れ得ぬ同志」の連載を始め、8月には休載していた小説『人間革命』の連載を「聖教新聞」紙上で再開。命を削る思いで仕上げた原稿は、全同志の心に蘇生の光を注いでいく。
  9月末、伸一は、北米指導に出発し、ハワイ、サンフランシスコ、ワシントンDC、シカゴと、激励に奔走。ロスアンゼルスでは、「第1回SGI総会」に出席した。
  翌81年(同56年)1月、伸一は、北・中米指導に赴く。
  ところが、弁護士の山脇友政が学会への恐喝及び同未遂の容疑で逮捕されたことにともない、東京地検から事情聴取の要請があり、いったん帰国する。2月、再びアメリカに戻り、パナマ、メキシコと歴訪。彼の渾身の激励行によって、日本も、世界も、広布は上げ潮に転じ始める。
  5月には、ソ連、欧州、北米訪問の旅に出発。ソ連は、アフガニスタン侵攻以後、国際的に厳しい状況に追い込まれていた。しかし、そんな時だからこそ、文化・教育を全面に掲げ、民衆の相互理解を促進する民間交流に最大の力を注ぐべきだというのが、伸一の信念であった。
  チーホノフ首相との会見をはじめ、ソ連の要人、文化人と語らいを重ねた彼は、8日間にわたるソ連訪問を終え、大勢の同志が待つ、欧州に向かう。
4  【暁鐘】(前半)
  5月16日、伸一は、ソ連から西ドイツに到着する。ここでは、ドイツ広布20周年を記念する交歓会に出席し、オランダ、デンマーク、スェーデン、ノルウェーなど8カ国から集まった800人の同志を励ます。
  さらにブルガリアを初訪問し、同国最古の国立大学・ソフィア大学で、名誉教育学・社会学博士の学術称号を授与され、講演を行う。また、文化委員会のジフコワ議長、国家元元首のジフコフ国家評議会議長らと会見し、子どもたちの「平和の旗」の集いにも出席する。
  引き続きオーストリアを訪問。20年前には、メンバーは誰もいなかったが、支部が誕生しており、信心懇談会が開かれる。其の席でオーストリア本部を結成。翌日には、本部長のアパートを訪ね、一家を激励する。
  次のイタリアでは、大勢の青年たちの出迎えを受けた。フィレンツェで伸一は、イタリアの創価学会の目覚ましい発展を祝福しながら、その担い手である青年たちと懇談を重ねる。さらに列車でミラノに移動し、翌日、スカラ座のカルロ・バディーニ総裁を訪ねる。
  この年の秋、民音などの招へいで行われることになったスカラ座の日本公演について「山本先生の力がなければ、実現しなかったでしょう」と語る。そして、フランスのマルセイユへ。トレッツの欧州研修道場では、18カ国から500人のメンバーが集い、ヨーロッパ広布20周年を記念する夏季研修会などが行われた。
  励ましの舞台は、花の都パリへ。伸一は、21世紀への大飛躍のために、信心の基本や創価の精神を伝えようと、折々に語らいの場を設ける。また、青年たちの新しい出発を祝し、地下鉄のホームや車中で口述を重ね、詩を作り、贈った。
  間断のない闘争は続き、6月16日午後、伸一は、アメリカ・ニューヨークへ飛び立つ。

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