Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第17巻  

小説「新・人間革命」あらすじ

前後
3  【民衆城】
  「広布第2章」の大空への飛翔は、全同志の“信心のエンジン”を全開にする以外にない。4月から5月にかけて、伸一は一瞬の機会も逃さず、同志のなかへ飛び込んでいく。
  東京・荒川の同志と出会えば、瞬時に励ましの懇談会に。荒川は、57年(同32年)8月、伸一が夏季ブロック指導の最高責任者として、弘教の指揮をとった地であった。その前月、伸一は無実の罪により、大阪で不当逮捕された(大阪事件)。荒川の地は、学会と民衆を苦しめる権力の魔性への、反転攻勢の舞台となったのだ。
  4月の本部幹部会では墨田へ。ここもまた、53年(同28年)、伸一が男子部の第1部隊長を務めた時、広布拡大に走り抜いた地だった。その激闘を振り返りながら、民衆勝利の方程式が、感動的に示されていく。
  伸一の東京各区の激励は続く。渋谷の後、生まれ故郷の大田へ、文京支部長代理時代に縁の深かった豊島へと、休みなく走った。
  5月8日からは欧州へ飛んだ。フランスでは、「第三文明絵画・華展」やパリ大学へ。さらに、「ヨーロッパ会議」を設立する。英国へ渡ると、前年に引き続きトインビー博士と対談。帰国の途次には、経由地のオランダでメンバーを激励。希望の民衆城を築く、伸一の奮闘は続いた。
4  【緑野】
  伸一は、東京に続き、各方面・県の強化の第一歩として福井県へ。福井は空襲、地震、台風など幾度も大災害に見舞われた。その国土の宿命転換のために必要なのは、まず人々の“心の変革”であった。
  県幹部総会に出席した伸一は、福井の伝統に新たな光をあてて郷土の誇りを掘り起こし、「福井のルネサンスを!」と力説。学会員こそ地域繁栄の主役との深い自覚を促していったのである。
  また席上、伸一は、13年前、夜行列車に乗った伸一に会おうと、深夜に敦賀駅に来たが、対面できなかった同志に励ましの言葉を。終了後には、福井長を務める青年に、指導者の在り方を語る。
  伸一の激闘は、妻・峯子が戦時中に疎開していた岐阜県にも。
  県幹部会では、「一人立つ」と題した、青年部の創作劇が感動を呼ぶ。“命ある限り戦う”との叫びに、伸一は、これが学会精神だと伝言を。会合では、一人一人の社会での勝利の実証が学会の正義の証明になると訴えた。また岐阜本部では、聖教新聞の記者・通信員に激励を重ねる。
  皆の胸中に使命の種子を、勇気の種子を植え続けることが、希望の緑野を広げると確信していた伸一は、群馬県へ。
  群馬が“地方の時代”の先駆を切り、広布のモデル県になるよう期待を寄せ、地元の交響楽団で活躍する友を励ます。
  さらに茨城に続いて、北海道を訪問。ここでは「広宣流布は北海道から」との指針を贈る。

1
3