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日蓮大聖人・池田大作

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小説「人間革命」9-10巻 (池田大作全集第148巻)

前後
5  戸田は、新しい課題を、四方八方から攻めるように、執勘に追っていた。厳しい表情である。そこへ、山本伸一が入ってきた。戸田は、あいさつする伸一に、すぐさま声をかけた。
 「暑いなぁ。こう暑くては、考えることが、なかなか、まとまらなくて弱るよ。ハッハッハッ」
 戸田は、豪放に笑った。しかし、胸中の思いは、隠しょうもなく、言葉になって口から出た。
 「伸ちゃん、いよいよ、広宣流布の活動も大変なことになってきた。将来、君には、大変にやっかいな荷物を、背負わせてしまうことになるかもしれないな。昨日から考えているのだが、今度の選挙は、将来の学会にとって、新しい面倒な課題を提起しているように思うんだ」
 伸一は、これを聞いて、反射的に「雲海の着想」を思い起こした。戸田に先を越されて、聞くより先に言われてしまったことに、伸一は、瞬間、驚いた。
 「私も、帰りの飛行機のなかで、ふと、そのことに気づいたんですが、今の私には、わかりません。それで先生に、ぜひ、お聞きしたいと、昨日から思っておりました」
 「ほう、そうか。責任感が同じなら、考えることも同じだな」戸田は、わが意を得たと言わんばかりに目を細めて、さも愉快そうに笑いだした。
 伸一は、ここで、あの「雲海の着想」の要点を語った。
 ――広宣流布をめざす創価学会の活動は、日蓮大聖人の仏法を根底として、平和・文化・教育など、現実社会に展開されている、あらゆる分野に及んでいく。立正安国の戦いは、現実社会とのかかわり抜きにはあり得ない。
 戸田先生の示された構想を実現するには、政治の分野も、避けて通るわけにはいかないだろう。今回のような支援活動も、続いていくことになる。
 そのなかで、学会が、政治的野心をもっているかのような誤解が生じ、世間の批判・中傷に、さらされることもあるにちがいない。さらに、民衆に根差した新しい政治勢力の台頭を恐れる、権力の干渉もあるだろう。長い将来を思う時、政治にかかわることは、創価学会にとってプラスなのか、マイナスなのか。
 また、現実社会における政治の比重が大きいだけに、広宣流布という広大深遠な活動が、将来、政治の分野に偏向するようなことになったら、広宣流布は矮小化されてしまうのではないか――。
 戸田は、一つ一つ頷きながら、じっと、伸一の話を聞いていた。
 「私が、今、苦慮しているのも、まさにそのことだが、日本における広宣流布の展開を考えると、まるまる避けて通ることはできない。となると、単なる戦略に原理が歪められる危険は、絶対に避けなければならないことになる。これが難しい点だ。現実的な社会というものは、どうしても、安易に政治的に流されやすい。
 ともかく大聖人は、『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ』と仰せになっている。この御精神に微塵も違わず応えていくのが、広宣流布の真髄だ。そのうえに立って、立正安国は、いかにあるべきかが課題になる。
 明治に入って、日蓮大聖人の仏法を国家主義的に解釈し、時の権力に迎合し、国家的計略の具にしてしまった、田中智学などの一派もいた。これこそ、大聖人様の仏法の歪曲であり、矮小化だ。
 われわれは、愚かな轍を踏んではならないが、その危険は、常にあると自覚しなければならない。創価学会という、仏勅を奉じる団体が、政争に巻き込まれではならないのだよ」
 伸一は、大きく頷きながら、戸田の目を見つめていた。戸田もまた、伸一を凝視し、話を続けた。
 「広宣流布というのは、人類の生命の土壌を深く耕し、豊かな実りある土壌に変えることにある。その土壌のなかから、人びとの幸福と平和に寄与できる人材を、あらゆる分野に輩出していくのだ。
 広宣流布の戦いは、どこまでいっても信心が根本であり、そして、人間に的がある。一人の人間における偉大な人間革命を、終始一貫、問題にしなければならない。それでこそ、あらゆる分野での、新たな開花が期待できる。
 政治改革といったって、人間革命という画竜点晴を欠いたら、何一つ変わるものではない。歴史を振り返ればわかることだ。
 今度の戦いだって、まだ序の口の序の口だが、立派な政治家らしい政治家を、この土壌のなかから育てなければならぬということに目標を定めて、妙法を持った同志を推薦して取りかかった仕事だ。政治の分野にも、真の政治家を育成することが、これからの課題となってきたところだよ」
 「そうですね。今回推薦して当選した人が、なんとしても立派な政治家として育ち、政治の分野で大いに活躍してほしいですね」
 「そうだ、当選した者が、民衆のために、国家のために、人類のために、いかに嵐を受けながら、奔走するかだ。それを、皆で激励し、見守っていきたい」
 「わかりました。そうした人材を、数多く輩出していくには、長い時間が必要ですね」
 「その通り。しかし、手をこまぬいていては、いつまでも人材は育たない。その第一歩として、今度のような支援活動をやった。しかし、その広宣流布の道程が、いかに険難であるかを、思い知らされたような気がする。
 伸ちゃん、現実は修羅場であり、戦場だな。社会の泥沼には、権力闘争が渦巻いている。そのなかで妙法の政治家を育てていくんだから、相当の覚悟が必要だ。まず、権力の魔性と対決することになる」
 「確かに、その通りです。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクが、『権力にはメドゥーザの眼光がある』と書いている通りですね」
 伸一の語った″メドゥーザの眼光″というのは、ギリシャ神話に出てくる物語で、メドゥーザという女神の顔を見た者は、目を外すことができず、石と化してしまう話である。
 権力の魔性に遭って、将来ある妙法の政治家が、石と化してはかなわない。
 思いめぐらして、戸田は、つぶやくように言った。
 「この権力の魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破れないんだ。それは、権力を生み出す社会の仕組みもさることながら、深く人間の生命の魔性に発しているからだ。この見えざる『魔』に勝つのは、『仏』しかないからだよ」
 部屋には、誰も入って来なかった。
 師と弟子だけの率直な真摯な対話は、二時間余りも続いていた。
 戸田は、急に観点を変えて話しだした。
 「仮に、今の自民党にしろ、社会党にしろ、仏法の生命尊厳と慈悲の哲理に基づくならば、民衆の願う、真の平和な、幸福な世界の実現に寄与し得るだろう。それも一つの姿であるかもしれないが、まず難しいだろう。
 日本の現状を思うと、政治家だけを、どうとうしようとしても、どうにもならない。新しい民衆の基盤から、新しい民衆の代表である政治家を誕生させることが、今ほど望まれている時代はないだろう。創価学会から、同志を政治の分野に送ったのも、時代の要請ともいえる。
 今のところ、私たちの送り出した同志は、政治手腕も未熟だし、未知数だ。しかし、いつまでも素人ではないだろう。やがて、政治家としても有能な人物に成長していくことを、私は願っている。
 今回の選挙でも、学会の支援活動は、政治に無関心であった多くの人びとに、政治への関心をもたせた。これには、大きな意味がある。本来、政治は民衆のものだから、人びとが、政治を監視する意識をもつことが大事だ。
 そうした土壌を深め、広げていけば、そこから、新しい本格派の政治家が出現していくにちがいない。政治家を育てるのは、結局は民衆であるからだ。
 将来、何十年先になるかわからないが、多くの民衆の期待に応え、衆望を担う真の政治家が、続々と出現したらどうだろう。世論は、彼らを信頼するに足る政治家として、支持するにちがいない。悪徳政治家も淘汰されるだろう。
 こうなると、今の学会員の支援活動など、問題ではなくなる。社会の広範な支持が基盤となっていくだろう。むしろ、そういう時代をつくることが大事だ。
 政治家一人では、何もできるものではない。民衆が大事なんだよ。つまり、人間が原点だ。人間が的だよ。
 また、こうも考えられる。
 広宣流布が進んでいけば、社会のあらゆる分野に人材が育っていく。政治の分野にも、経済の分野にも、学術・芸術・教育など、どんな分野にも、社会の繁栄、人類の平和のために、献身的に活躍している学会員がいるようになるだろう。つまり、あそこにも学会員がいる、ここにも学会員がいる、というような状況になっていく――広宣流布していく時代を具体的に表現すれば、こういう様相になるんじゃないか。
 要するに、創価学会は、人類の平和と文化を担う、中核的な存在としての使命を課せられることになると、私は考えている。
 伸ちゃん、創価学会は、そのための人材を育て上げていく、壮大な教育的母体ということになっていくんじゃないか。
 要は、『人間』をつくることだ。伸ちゃん、この人間革命の運動は、世界的に広がっていくことになるんだよ」
 戸田は、伸一と語り合っているうちに、知らず知らず、広宣流布の未来図を話していた。話しているうちに、おのずと描かれたのである。
 伸一は、その未来図を、遠く望むように目を細めて言った。
 「創価学会が、広く社会を潤し、壮大な人間触発の大地となる。そこから、人類の輝かしい、新しい未来が眼前に開ける、まことに雄大な構想ですね。ずいぶん先の将来に思えますが……」
 「遠いといっても、百年も先ということにはなるまい。しかし、私の生涯に、そのような時代が来るとは思えない。伸ちゃん、君たちの時代だ。それも、後半生の終わりごろから、その傾向が顕著に現れてくるんじゃないかな」
 悠久に身を委ねた予見者の顔は、厳しくもまた、崇高であった。
 伸一は、戸田の顔を見つめながら、あの雲海の世界の悠久さに、身を置いていることを知った。
 そして、戸田の言説は、行き着くところ、ことごとく伸一への遺言の響きを帯び、彼の心に、深く刻まれた。
 「わかりました。政治の分野についていえば、私たちが、今度のような支援活動を一生懸命にやったのは、創価学会という土壌から、識見、人格を備えた真の力ある政治家を、なんとか育てたいという悲願からなんですね。そこで今回、その第一歩を踏み出した……」
 「そうなんだ。しかし、人びとは、政界進出の野心でもあるかのように取るだろう。いつの時代でも、世間というものは、そういうものなんだなぁ。
 創価学会は、間違いなく宗教界の王者になるにちがいない。大聖人が、『されば首題の五字は中央にかかり』と仰せになっているように、大聖人の仏法は、思想・哲学の王者だ。その偉大な仏法を、創価学会は、世界に弘めようと立ち上がったんだからな。
 だからこそ、社会のあらゆる分野に、御本尊を持った真に優れた人材を送り出していくのが、創価学会の使命なんだよ。
 それらの一人ひとりの、偉大な人間革命の実践が、新しい世紀における人類社会に、偉大な貢献をすることになる。
 政体とか、政権といったものは、長い目で見れば、その時代、その時代で変わっていくものだ。そんな移ろいやすいものに、目を奪われてはいけない。民衆自身に光を当てていかなければ、この厄介な社会を寂光土化する広宣流布という仕事は、決してできはしない。
 われわれの仕事は、今は、世間は誤解こそすれ、誰一人、理解しないだろう。それで結構。人目につかなくても結構だ。しかし、いずれは世間が目を見張る時が、きっと来る。その時になって、初めて広宣流布という未聞の偉業を理解し、やっと讃嘆することになるだろう」
 この時、山本伸一は、「雲海の着想」の疑問が、壮大な未来の光輝に照らされていることを感じた。
 そして、彼の思索が、眼前の状況に阻まれ、未来への視界が開けきらずにいたことに気づいたのである。
 「先生、今は、当分、今度のような支援活動を必要とする時代なんですね。究極の目標をしっかり見つめて、目をそらさず、着々と進んでいけば、それでよいわけですね」
 「それはそうだが、今度の新しい展開は、あまりにも教訓に満ち満ちている。結論を急ぐのはよそう。考えることが多すぎるんだよ。世間にどう映るか、それも考慮に入れなければならん。伸ちゃん、君も、よく考えてくれたまえ。厄介なことだが、これは、乗り越えていかねばならない問題なんだよ……」
 また、このたびの選挙で、多くの違反者を出してしまったことに対して、戸田と伸一は、言語に絶する苦痛を感じていた。そのほとんどが、戸別訪問容疑であった。
 真剣のあまりとはいえ、選挙法に対する無知とはいえ、法律を犯すことは社会人として許されない。本人はもとより、家族のことを考えるにつけ、二人の断腸の思いは続いた。
 戸田は、悲痛な表情で伸一に語りかけた。
 「なんとか、弁護士とも相談して、最善の手を打ってくれたまえ。今、頼れるのは君だよ。幹部も皆、疲れ果てている。私も疲れている……」
 「わかりました。先生の苦衷を思うにつけ、私は、会員の激励に最大の努力を払います。ご安心ください」
 戸田の声は、厳然としていたが、伸一は鋭く、その疲れを察知したのである。勝った大阪の将である伸一には、まだ戦う余裕があった。
 この時、会長室の扉が開いた。戸田城聖と山本伸一との、未来をかけた久方ぶりの師弟の対話は、ここで途切れた。
 部屋に、そろって入ってきたのは、六人の推薦候補たちである。今は、当選した三人と落選した三人であった。話は、たちまち現実に戻った。
6  創価学会の推薦候補六人のうち、三人が当選したことは、一般世間にとって、かなり衝撃的なことであった。それというのも、三人とも政治家としては、全くの無名であったからである。
 大阪の春木征一郎の当選も、地元大阪では全く予想外であったらしい。七月九日付の「朝日新聞」夕刊の報道記事は、「″まさか″が実現」との見出しを掲げ、驚愕を、そのまま伝えている。
 「『まさか』といっていたその″まさか″が現実になった。これはどういうことなんだろうか。大阪の三人は、自民の二と社会の二、計四人の候補者で争うというのが衆目の一致したところだったのに」
 同紙は、春木が当選した原因を、「やはり人海戦術か、有権者があえて″新しいもの″に期待したのか」と分析していた。
 創価学会本部には、報道関係者が戸田城聖に面会を求めて、どっと押し寄せた。新聞社はもちろん、放送局、雑誌等の記者たちが、次から次へ、引きも切らずやって来た。
 三人の国会議員が、創価学会を基盤に一挙に輩出されたことは、よほど記者たちの意表を突く出来事であったらしい。彼らの質問も、学会が、まるで政治団体にでも、なったかのような先入観をもって、興味本位の取材に終始した。
 戸田城聖は、彼らに、創価学会の理念を懇切に説いたが、彼らは、理解しようともしなかった。
 戸田にとって、もう一つの心痛む問題は、東京をはじめとする、落選した候補を応援していた会員たちの落胆ぶりであった。その意気消沈した会員の様子を耳にするにつけ、まず、戸田自身が奮い立たなければならなかった。
 反省から展望へと、戸田の思索は続いていたが、躊躇なく、新段階へと広宣流布の道を開くことが、何よりも急務である。さまざまな情勢は、その断行を、彼に迫っていた。
 彼は、まず人心の一新を考え、人材の思い切った登用を考えた。そのためには、組織の新編成が必要になる。
 戸田は、ここ一、二カ月間、慌ただしく全国を駆け巡ってきた。そのなかで、支部長として立つべき新たな人材を、見いだしていた。そのメンバーに光を当て、地方支部の創設を、検討し始めたのである。
 また一方では、毎日のように、各支部の幹部会を、それぞれ開催し、悄然とした会員を激励し、奮い立たせることに力を注いだ。
 七月十七日には、男子部幹部会が豊島公会堂で、十九日には、女子部幹部会が中野公会堂で、それぞれ開催された。そして、形式主義に堕して、硬直したきらいのある組織を、透徹した信心をもって、柔軟にして弾力のある、生気はつらったる組織に蘇らせることが、決議された。
 こうした一つ一つの布石にも、将来を展望しての、戸田の深い反省があったのである。
 七月十六日の午前九時、本部の会長室に、理事をはじめ青年部の首脳らが集まり、戸田を中心に二時間にわたって、最高会議が開かれた。この時の決定が、二十四日の七月度本部幹部会で発表された。
 全国から幹部が集った本部幹部会は、まず、人事発表から始まった。
 満五年にわたり、青年部長の任にあった関久男が、理事に就任し、理事室は小西理事長以下五人となった。後任の青年部長には、男子部長であった山際洋が任命された。男子部三万六千、女子部二万三千の部員を擁する青年部の指揮を執ることとなった。
 男子部長の後任には、男子第五部隊長の秋月英介が任命され、まず男子部から、人心一新の動きが始まったのである。
 この月の折伏成果は、九千三百七十四世帯にとどまった。戦い終わった疲労も、確かにあったことは事実である。だが、何よりも、半ば勝利、半ば敗北といった、支援活動の精神的な打撃が、数字となって現れたにちがいない。
 戸田城聖は、最後の講演で、彼自身の心境を率直に語って、全国の幹部をいたわりつつ、さまざまな世評に惑わされることのないように戒めた。
 「今度の選挙は、勝ったようであり、負けたようであり、すこぶる混乱を呈しております。
 世間では、学会から三人も参議院議員が出るなどということは、夢にも思っていないことでありましたから、こっちが三人落として残念がっているのに、向こうは三人当選してびっくりしている。
 それで、ご承知のように、新聞では、そうとう騒ぎ立てた。今度は、雑誌で書き立てられている。毎日、毎日、押しかけられて困っている。これからも、いろいろと悪くも言うでしょうし、よくも言うでしようが、そんなことで、信心がぐらつくことのないように、真っすぐな信心に立ってもらいたいと思います。
 なにも、新聞で褒められたからといって、嬉しがることもなければ、悪口を言われて驚くこともない。われわれの信仰は、ただ一途の信仰でなければならないと思うのであります」
 戸田は、なんの強がりも気負いもなく、ただ淡々と語っていた。
 平常心というものが、厳然としていて、彼の言葉は、聞く人の耳に素直に通った。つまらぬ世評に動揺したり、悔恨で胸をふさがれていた会員の心は、凍えた土が太陽に溶かされるように、いつか暖かく溶解していった。
 戸田は、今後の活動の指針を与えて、言葉みじかに言った。
 「今後の折伏でありますが、どこまでも、立派な会員をつくっていく、日蓮大聖人様の御心にかなった、立派な会員をつくっていくという心持ちで、しっかりやっていただきたい。
 今月の折伏は、長らく闘争してきた結果、休戦したらしい。戦いを休んだらしい。だから数も九千(休戦)だ。皆、一万やっては悪いと思って、遠慮したらしい。来月からは、遠慮はいりません。立派な会員を数多くこしらえて、御本尊様にお礼を申し上げていただきたいと思います」
 新しい展望による、一つの転換期であった。十七の新支部の結成が企画に乗り、その編成準備が全国的規模で始まった。
 北海道に四支部の創設、大阪支部が七分割されるといったように、組織の拡大が検討された。それは、学会にとって画期的な飛躍であった。新支部長などの幹部の人選は、戸田の胸のなかで練りに練られた。
7  この年も、八月三日から七日までの五日間、夏季講習会が総本山で開催された。三日目の五日午後、運営本部が置かれている理境坊で、戸田を中心とする首脳幹部による最高会議が開催され、今後の方針が検討された。
 席上、課題となっていた新支部の創設についても協議され、当初、予定されていた十七支部のうち一支部の結成が延期された。結局、十六の新支部が誕生することになり、新支部長の任命と、新支部旗の授与は、八月二十六日午後、東京・両国の国際スタジアムで行われることになった。
 この最高会議での最大の議題は、今後の学会の、実際的な運営に関する慎重な検討であった。学会行事の中心は座談会とし、それも、組座談会を主力として、たとえ三人、五人でも、組長の発意で、適宜に開いても差し支えないということになった。戸田城聖が、出獄後の再建期に、自ら実践した方式に則ったわけである。
 これまでは、折伏の実践のない会合が、いたずらに多すぎた。支部長会、地区部長会、班長会、組長会などの会合を極力整理し、草創のはつらつたる息吹を、もう一度、組織の先端から呼び起こそうとしたのである。
 このような変革は、すべて、このたびの戦いの教訓から、反省と展望のうえに立って、立案されたものということができる。
 戸田は、草創の再建期にあっては、毎晩のように座談会に出席した。それも、三人、五人の少人数の座談会から始まったのである。現在の首脳幹部は、そのころ、戸田に同行して、それらの座談会で折伏を学び、指導のなんたるかを、つぶさに会得した。思い出しても、生き生きとした、楽しい会合であった。
 具体的実践ほど、人を成長させるものはない。形式を打破した閤達自在な小会合ほど、生命と生命の触れ合う親しさが軸となって、そこに固い団結も、同志愛も、学会精神の脈動も生まれる。信心という姿なきものの実在は、はつらつと心の通う座談会にこそ、忽然と現れるのである。
 幾多の会合の忙しさに紛れて、いつしか座談会を軽視しがちな幹部の動向を、戸田は厳しく戒め、座談会が形式主義に陥る弊害を除去しようとした。その背景には、座談会を組座談会まで拡大した山本伸一の、大阪闘争があったことは言うまでもない。
 八月二十六日午後一時、両国の国際スタジアムで、全国新支部結成大会が行われた。各地に誕生した十六の支部の、新しい支部長の手に、新しい支部旗が授与されたのだ。
 北から名をあげれば、旭川、札幌、小樽、函館、秋田、新潟、大宮、浜松、名古屋、京都、船場、梅田、松島、岡山、高知、福岡の新十六支部である。そして各支部に、支部長、婦人部長、男子部隊長、女子部隊長が、それぞれ住命をみた。これまでの十六支部は、倍増して三十二支部となり、男子部隊と女子部隊も、それぞれ三十二部隊の陣容に飛躍した。
 さらに、理事も新たに誕生し、理事室は、小西理事長以下六人となった。また、関西に総支部制が敷かれ、初代総支部長に春木征一郎が就任した。
 これらの組織変革は、創価学会始まって以来の飛躍である。集った全国の幹部たちは、新時代の到来であると、いやでも考えざるを得なかった。
 戸田城聖は、林立する新支部旗を前にして、社会が、創価学会という団体を、やっと注目し始めた、と語りだした。
 「七月八日の選挙が終わって、その次の朝、朝と申しましでも夜中の二時に、私は、ひしひしと身に感じるものがありました。そして、一首の歌をつくりました。
 『いやまして 険しき山に かかりけり 広布の旅に 心してゆけ』
 これが、私の心であります。
 案の定、選挙が終わって以来、初めて日本の社会がびっくりして、清く公平な学会が、悪口を言われたり、攻撃されたり、あるいは間違った報道が始まり、あらゆる状態が、われわれ創価学会のうえに降りかかってまいりました。あの選挙の時に、私が同志の応援のために、全国を歩いて感じたことが、それなんです」
 それから戸田は、現代の社会においては、宗教という宗教が死んでいると説き、日蓮大聖人の仏法のみが、生きた宗教である、と次のように語った。
 「わが創価学会によって、″宗教は生きている。生きている宗教がある″ということを教えられているのであります。今日、文化人、あるいは、その他の人びとも驚いた。いや驚いている」
 このたびの選挙が、それを教え、「日本の潮」として、識者が初めて気がついたところであると述べ、こう訴えたのである。
 「今の科学者にもせよ、政治家にもせよ、いかようにして、世界を平和にしようかと考えているのであります。しかし、政治の次元だけでも、科学の次元だけでも、本当の幸福は、絶対にできるものではない。人間は、誰人も、生老病死という根本の命題を避けることはできない。その生命の実相を直視し、解決している真実の宗教が不可欠になってくる。その宗教が、生命の大哲理を説いている、日蓮大聖人の仏法なのであります」
 戸田は、最後に力を込めて言った。
 「大聖人の仏法の力で、宗教そのものの力のうえに立っての、もろもろの活動によって、真実の地上の楽土をつくらんと願うものですが、皆さんも同じ心になって、民衆救済のために、広く人類社会のために、立っていただきたいと、お願いするものであります」
 数日おいて、八月三十一日夕刻、豊島公会堂で八月度の本部幹部会があった。
 席上、小西理事長からは、総本山に大講堂を建設し、供養することについての話があった。「大講の建立寄進」は、「五十万世帯達成」「参議院へ有能にして高潔な人材の推薦」とともに掲げられた、この年の三大目標の一つであり、戸田が発願したものであった。
 「御供養は、どこまでも、信心の表れでなければなりません。どこまでも、信心を根本に、楽しんでできるような御供養を、お願いしたいと思います」
 小西は、御供養が、この年の十一月から翌年の十月まで、一年間かけて行われることを述べて、その趣旨を徹底した。
 最後に、戸田城聖は、九月からの新方針である組座談会の実施について、その根本精神を懇切に語った。座談会についての、学会草創期からの伝統と実践に基づく確信とが、みなぎっていた。
 「来月から、と言っても明日からですが、組座談会を中心にすると言ったら、みんな、とんでもないことが始まるみたいに慌てている。それというのも、今の幹部、地区部長にしても、二代目という人が多い。会長が二代目だからしょうがないとしても、人のつくった地盤で地区部長になり、そのイスに、でんと座っている人が多い。自分一人で地区を育ててきた人は少ない。だから、組座談会というと、とんでもないことが始まったみたいに思うんです。
 私は、牧口会長以来、小さな座談会ばかりやってきた。行くというと、二人か、三人しかいない。今日は集まりがよいという時でも、二十人ぐらいのものです。そのなかに、たいてい、信心に反対の人がいる。そういう座談会が本当の座談会です」
 戸田は、現在の座談会が、形式に流れ、組長、組員の信心の育成の場となっていないばかりか、親しさの全く失われた会合になってしまったことを痛撃した。
 「釈尊は、『法華経を持つものあれば、立って仏が来たように迎えをせよ』と言われている。
 いったい、三人だって同志がおったら、喜んで話し合って、帰って来なければならない。たった一人でもよい。一人でも、その一人の人に、本当の妙法蓮華経を説く。たった一人でも、自分が心から話し合い、二人で感激し合って帰ってくる。たった一人の人でも、聞いてくれる人がいる。この一人が大事なんです。
 私たちは、最初、座談会をやった時は、一人か二人、あるいは三人のために、遠いとこまで出かけたものです。その草創期の精神を忘れずに、組の方々を真面目に育ててもらいたい。そうすれば、あなた方の地区に組長が百人いたら、二百や四百世帯の折伏は楽にできるはずです。それを、組長教育もしないで、班長を集めて、ふんぞり返って威張りくさっている」
 まことに、地区部長や支部長には、耳の痛い話であった。
 戸田は、組織に巣くう官僚性というものが、どんなに人材を殺してしまうか、痛烈な批判を下してから、次のように結んだ。
 「あなた方も、幹部になった以上は、もう腹を決めて、本当の仏道修行を、組座談会でしてください。そうして、本当に苦労した地区部長、本当に磨き上げた幹部の一人ひとりになってください。そして、この世の人生を、悔いなく、信念の人として、飾ってください。、お褒めくださるのは御本尊様です。幹部たちに″褒められたい″なんて考える必要はありません。
 人に″褒められよう″なんて思って生きているのは愚かです。私たちは、御本尊様に褒められるようになろうじゃないか。また、人にいくら悪く言われても、いくら叱られでも、御本尊様に叱られないように、しようではありませんか。これが、真の日蓮門下であり、信仰の極理です」
 戸田は、ささやかな組座談会を、組織の隅々で、真面目に実践することによって、草創期からの学会精神を体得させようとした。地道なところの活動――仏道修行にこそ、真実の人間革命があり、広宣流布があることを、語りかけたかったのである。華やかな活動のみが、広宣流布に連なるとは限らないということを、戒めとしたかった。
 そして、会員の一人ひとりの信心を、ことごとく奮い立たせようと、この夜、いつにない情熱を傾けて力説したのである。
 さわやかな疲労が、帰途に就くタクシーの中で、彼を襲った。
 組織の飛躍的拡大による、三十二支部の新陣容で、全国的な新展開の布石を完了し、その陣容を効果的に全回転させるために、今また、最先端に組座談会一本という新方針を発表したのである。
 すべては、刻々と開かれていく広宣流布の、新しい展望に対応するためであった。
 戸田城聖は、″これで準備は、万全を期して、ひとまず終わった″と思った。学会精神の衰弱と、形式に堕す組織の官僚性とに、彼自ら、真正面から挑戦したのである。
 (第十巻終了)

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