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日蓮大聖人・池田大作

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戦争と講和  

小説「人間革命」5-6巻 (池田大作全集第146巻)

前後
23  ところで、真の安全保障とは、果たして「不信」の防壁を張り巡らせ、「対立」の銃口を向け合うことにあるのだろうか。いたずらに敵視し、睨み合っているだけでは、戦争の心配が、なくなるどころか、対立の溝は、深まるばかりであろう。
 そもそも、一国のみの平和はあり得ない。一国のみの繁栄もあり得ない。この地球上に住む全人類の平和なくしては、真の平和とはいえないであろう。そのためにも、あらゆる戦争の根を断つことこそが、人類の恒久的な平和への大道であるはずだ。
 そこに、日本が進むべき道がある。それには、日本が自ら、地球上のあらゆる国々と、平和と友好の絆を強めていくことである。やがて、その国々と、平和友好条約を結んでいくならば、日本を取り巻く環境も、当然、変わっていくにちがいない。
 まず第一に、中華人民共和国とは、万難を排しても友好の絆を結ぶことである。アメリカに気兼ねして、反対論を唱える人がいることも事実である。
 中国敵視政策をとる人も多い。その意中もわからないではない。だが、日本と中国は、文化的にも、歴史的にも深く結びついてきた。数千年来、交流してきた隣国との誼を結ぶのに、なんの遠慮がいるだろうか。過去の痛恨の歴史を、そのままにしておいてよいわけがない。
 ここで、身近な譬え話をしよう。
 昔、近しい親戚同士で、隣り合って住んできた二軒の家があった。先代同士が喧嘩してしまい、いつか、口もきかない絶交状態に陥って以来、長い年月が過ぎた。この間に、片方の一軒の家は、千里の向こうに新しい親戚ができて、親しく付き合うようになった。
 しかし、なんといっても隣同士のことである。俗に、遠くの親戚よりも近くの他人という。まして、もともと親戚ではないか。今は、先代の記憶も薄くなり、昨今、互いに心で誼を求め始めたが、一軒の家は、千里の向こうの親戚に気兼ねをして、どうしても友好の手を差し伸べることができない。もう一軒の家は、カンカンに腹を立ててしまっている。
 さてここで、隣家同士が、一切の行きがかりを捨てて、思い切って友好の手を握り合ったとしたらどうなるか。一切の環境は、ガラリと変わるのである。やがて千里の向こうの家も加えて、親戚として、三軒の家は平和な交際を始めるにいたるであろう。
 国家と国家の関係も、民族と民族の関係も、その根本をなすのは、人間の一念である。ある国家や民族に対して、人びとが、不信、反目、憎悪の念をいだき続けている限り、国家間や民族間の、本当の意味での友好も平和も、成り立つことはない。
 大事なことは、国家、民族、さらに、宗教、文化、言語等々は違っていても、地球を故郷とする、同じ「人間」であり、同胞であるとの認識に人びとが立ち、不信を信頼に、反目を協調に、憎悪を友愛に変えていくことである。つまり、人間の一念の転換こそが、平和建設の要諦といえよう。
24  法華経には、三変土田と説かれている。仏が、裟婆世界である国土(場所)を、三度、変じて、浄土にしたことをいう。すべての人に、仏の生命が具わっていると教えているのが仏法である。人間の一念を転じ、仏の生命を顕現していくならば、国土を変え、この地上に、恒久平和を実現することもできるのだ。三変土田は、その原理を示しているといえよう。
 はるか未来に思いを馳せるならば、隣人の中国と友好の手を結ぶことは、両国のみならず、アジアの安定と繁栄、世界の平和へと、深くつながっているにちがいない。その環境をどうつくるかにこそ、政治家たちは、勇気をもって取り組んでいくことだ。
 目先のことのみに目を奪われた政治家たちは、これを非現実的な空理空論と笑うかもしれない。しかし、いったい現実とは、何を指していうのであろうか。
 現実とは、庶民の生活のなかにこそあるはずだ。戦争にさんざん苦しめられ、原子爆弾にこの世の地獄を体験し、″もう、戦争は二度といやだ。戦争に負けても平和の方がいい″と悟った庶民の生活実感以上に、現実的なものがあるというのだろうか。
 そのような生活意識から生まれた政策であってこそ、現実的な政策というべきである。幾多の尊い犠牲を払った庶民の生活意識は、あらゆる国々との友好を求めているのだ。
 もちろん私は、共産主義を礼讃しているのでもなければ、自由主義を敵として論じているつもりもない。それらを包含しゆく仏法の人間主義に立った時、そのように結論せざるを得ないのである。
 やがて、新しき世紀の輝かしい歴史の舞台に躍り出るのは、前途洋々たる現在の青少年たちである。未来の無限の可能性を秘めた若い世代の前途は、断じて、ふさいではならないのだ。
 ともかく、日本が真の平和国家として立ちゆくためには、自らが、人類の平和を招来する環境をつくり、開いていくことこそ不可欠である。中国とも、ソ連とも、そして、地球上のあらゆる国々と、平和と友好の絆を結ぶことである。ここに、世界の恒久平和への大道はあると言いたい。
 世界の国々と友好平和の鮮が結ばれるならば、民衆と民衆の、平和と文化の友情の橋は、幾重にも懸かっていくであろう。そこにこそ、不信と対立の壁を取り払い、人類が共に栄えていく、新しき世紀も開かれていくのだ。平和主義の日本国憲法も、その時、初めて、この地球上に燦然として光を放つにちがいない。
 このように言えば、現実の世界は、それほど簡単至極なものではないと反論する人もいるだろう。しかしながら、誰かが、率先して平和と友好の絆を結ぶ努力を始めなければ、このアジアの民衆の安泰はあり得ないのだ。
 日本は、右顧左眄することなく、どこまでも平和主義を基調として外交方針を貫く、強靭な決意をもたねばならぬ。そのためには、まず、中華人民共和国との平和友好条約の締結を最優先すべきであり、これこそ、最も現実的な政策であると、重ねて訴えておきたい。

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