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日蓮大聖人・池田大作

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渦中  

小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)

前後
12  一年たった時、この名刺は、とっくに不要になっていた。一年ぶりで戸田に会った老婦人は、戸田の側から離れなかった。
 一行が大屋宅に着くと、一年間の大小さまざまな体験を、事細かに語って尽きない。
 「厚くお礼申しますだ。ほんに、功徳をいただきました。正しい御本尊がわかったよ。……ありがとうございます」
 無邪気な喜びである。戸田も、この純朴な話に、ニコニコと頷くのであった。
 彼女は、自ら鬼子母神への信仰を捨て、正法の信仰に入った。それから、病弱な体も次第に元気になったという。行商も、それほど骨を折らずにできるようになった。商売が非常に面白くなってきた、ともいう。売り上げも飛躍的に上昇し、衣料の商売で、かなりの大金を貯金していた。
 孫に肩身の狭い思いをさせたくない。そのうち小さい家を一軒新築したい――と戸田に相談までする始末である。
 本人が、そう語るばかりではない。一年前の彼女を知る人が、驚いて見比べるほどの実証が、そこにあった。
 戸田は、嬉しかった。そして、事実のもつ偉大さを、しみじみと思った。
 大屋まつの家には、カリエスで絶望視されていた息子がいた。彼もまた、一年前に指導を受け、そして今は、既に快癒し、退院して、この夜の座談会に出席していた。
 蘇生である。この二十歳になる息子も、戸田は、激励することを忘れなかった。
 「張りつめた信心で、治ったんだよ。油断しては駄目だよ。自分の体を大事にしなさい。体が大事だったら、あなたの信心を大事にすることだ。わかったね」
 いずれも、下田における涙ぐましい体験である。
 この夜の座談会は、一年前とは違い、活気にあふれていた。参加者も多い。力強い前進の息吹を、戸田は感じ取った。
 暖かい伊豆とはいえ、夜は、さすがに寒かった。多くの人が、体験を語り、夜の更けゆくのも忘れていた。
 東京から来た幹部たちも、大屋宅での座談会には、手応えを、はっきり感じた。
 散会後、この会合の原動力が、本田とみであることに話題が弾んだ時、戸田は楽しそうに言った。
 「いずれにせよ、本田とみさんは、人騒がせなおばあさんだよ。今度は、どんな騒ぎを起こすことか」
 翌日、同行の幹部は、一人残らず四方へ散った。本田とみ、大屋まつ、その他の人びとの案内で、折伏すべき知人、友人宅が、山村、漁村に数多くあったからである。
13  地方指導は、このころから、ようやく実践的になり、時に飛躍的な効果をもたらしていった。
 戸田は、それを指導し、彼の面前に現れる一人ひとりを相手に、親身になってぶつかっていった。ある時は優しく、ある時は厳しかった。また、ある時は、仁丹を噛みかみ、そして冗談を飛ばしながら、彼の指導は続けられたのである。
 彼の存在するところは、それが都会であれ、山村であれ、漁村であれ、広宣流布の渦が巻き始める。むろん、その渦は、まだ小さい。数も少ない。社会の水面にあっては、ほとんど目立たなかった。しかし、それは確実に渦巻きながら、消えることなく、徐々に拡大していった。
14  一七八九年のフランス革命も、その底流には、絶対君主政体のもとで苦しむ新興市民層の、自由を求める強い自覚が渦を巻いていた。その渦は、やがて地方都市や農村にも広がり、全土に波及していった。ルソー等の自由の思想が、市民のなかに浸透した時、それは激流となり、奔流となって、革命への道をたどったのである。
 一九一七年(大正六年)のロシア革命は、専制政治打倒をめざして立ち上がった、プロレタリア階級の力によるものであった。彼らは、ロシア社会を衰えさせ、腐敗せしめたツァーリズムの専制に対して、共産主義を理想として戦い抜いたのである。
 日本の大改革、いわゆる明治維新は、王政復古と称されるように、フランス革命やロシア革命とは、やや趣が違う。それは、海外列強による支配を恐れた人びとが、幕藩体制を変革して、朝廷による政治を実現し、列強に伍することのできる、富国強兵策による強国をめざそうとするものであった。
 しかし、その変革の主体となった人びとの多くが、下級武士であり、民衆の力が歴史を動かした点においては、両革命と相通じるものがある。これらの革命や改革の底流には、いずれも下から盛り上がった変革への欲求が、バネとしてあったということである。
 このように、時代の変革の底流には、常に民衆のなかに巻き起こる渦がある。時の権力者は、その渦の存在を知ることがなかった。いや、知っていても、手の施しょうがなかったのであろう。彼らは、自己の保身のために眼が閉ざされ、来るべき時代を見通すことができなかった。
 やがて、それは濁流となって渦巻き、激突し、幾百千万もの尊い人命を犠牲にして、変革が断行されていった。これらは、すべて悲惨な流血の歴史であった。
 しかし、われわれのめざす実践は、決して流血をともなう革命ではない。仏法理念に立脚し、あくまで生命の尊厳を基調とする、無血革命であり、平和革命なのである。この理想的な革命こそ、人類が悠久の昔から待ち望んでいたものではなかろうか。
 伊豆をはじめ、都会や農村、漁村に、小さいながらも動き始めたとの渦巻きを、当時は誰も知らなかった。しかし、それが、やがて日本の、アジアの、世界の渦となり、激流となって、世界平和の源泉をなしていくであろうことを、戸田城聖は確信していた。

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