Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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千里の道  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
14  ――一九四五年(昭和二十年)六月十七日午後十時三十分ごろ、突如として、対面所の裏から出火し、大奥、書院、六壺、米蔵を類焼。翌朝四時ごろまで燃え続けた大火で客殿が焼失した。敗戦二ヶ月前のことである。
 この客殿は、一八七一年(明治四年)に再興され、一九三二年(昭和六年)には、日蓮大聖人の六百五十遠忌を記念して、大修理を加えられた建物であった。大広間は約二百七十畳で、丑寅勤行をはじめ、総本山の行事は、ほとんどこの建物が使用されていた。
 折しも戦時下の軍部政府は、人員収容のために便利な大石寺の建物に目をつけた。国家神道に追従した宗門は、大石寺を軍部政府の国家総動員の拠点として、積極的に提供した。四三年(同十八年)六月二十日には、勤労訓練生の宿泊所として、大坊・大書院(二百四十畳)を提供した。
 この勤労訓練所は、徴用工を訓練しては、一カ月ごとに、次々と軍需工場に送り込み、そのつど、新しく徴用工を連れて来ては、慌ただしく収容していった。
 しかも、境内の坊には、東京の学童が集団疎開していた。参詣人の絶えた参道の石畳の上を、徴用された人びとと、疎開した児童が行き交う――それが、戦時下の総本山の光景であった。
 その後、韓・朝鮮半島から、日本軍の命令により、労働力として強制的に徴兵された朝鮮兵の農耕隊がやって来た。二百数十人の駐屯所・宿舎として、大坊・客殿等が提供された。
 農耕隊の幹部は、すべて日本人の将校・下士官であった。彼らは横暴であった。大坊の対面所に起居し、軍部権力を笠に着た彼らは、まるで、大名か殿様のように振る舞った。また、周辺の農民をも見下し、祖国の民を守るどころか、ここでも民を苦しめる行動を、あえてしていたのである。
 彼らの数々の非行が重なっていった。総本山の境内は、悲惨にも、日に日に荒らされていくばかりであった。大坊の大書院には神棚がつくられ、天照大神の神札が祭られた。
 客殿の大火は、この大坊の対面所裏から出火した。所化の火の不始末か、農耕隊幹部の失火か、戦時中のことで、原因不明のまま、うやむやに葬られてしまっている。
 火災が発見された時には、火は既に天井に迫っていた。
 僧たちは、二手に分かれ、一組は真っ先に、客殿に飛び込んでいった。ほかの一組は、宝蔵に集合した。大御本尊を守るためである。
 当時、総本山在勤の僧侶は、ほとんど徴兵され、残っているのは、中学生、小学生の所化か、兵役年齢をはるかに過ぎた老僧たちばかりであった。境内にある十二坊の老僧を合わせて、わずか三十人そこそこである。これらの僧にとって、空を焦がす紅蓮の炎は、あまりにも高く、大きすぎた。
 上野村の警防団も、消防車を、石畳の上をガラガラ響かせてやってきた。しかし、これも初老の人たちばかりで、若者は一人もいなかった。総本山にいた疎開学童も、バケツリレーをして消火にあたったが、火を吐く建物は、広大で手にあまった。
 農耕隊の兵士は、一人も消火を手伝わなかった。これは幹部の者が、兵士の逃亡を恐れて、火災中、一カ所に集めて手伝わせなかったからである。
 僧侶たちは、客殿安置の御開山日興上人のお認めの御本尊を、どうやら事なく裏の杉林に移すことができた。そこで、初めて安堵の息を吐いた。
 火勢は、火が火を呼んで、ますます盛んになっている。
 僧たちは、一、二人を残して、御影像の搬出に駆け戻った。
 夜空を焦がす火炎、その火炎の反射、燃える木材のはぜる不気味な音――僧は、小声で唱題していた。やがて、重宝は、ことごとく、次々と杉林に運ばれてきた。
 「御本尊様は御無事だぞ!」
 彼らの胸中に、安堵の喜びが湧いた。しかし、火勢は、まだ、なかなか衰えを見せない。そのうち、空が、かすかに白んできた。炎の色も、薄らぎ始めた。人びとの顔も、ぼんやり、互いに見分けがついてきた。
 その時、一人の僧が、人びとの顔をのぞきながら、大きな声で叫んだ。
 「御前様は?」
 僧たちは、互いに顔を確かめ合った。そして、驚愕した表情で口々に叫んだ。
 「御前様がいない……」
 「……御前様がいないぞ」
 「誰か知らないか」
 僧たちは、転がるように、一斉に走りだした。ある僧は、杉林を出て、坊が並ぶ参道に向かった。ある僧は、再び客殿の方へ引き返した。ある僧は、裏の杉林の方へ飛び込んでいった。
 一団の僧は、客殿の周囲を慌ただしく駆け回った。そこにも、法主の姿は、なかった。誰に聞いても、知る者がなかった。
 「どこかの坊に、いらっしゃるにちがいない」
 「御影堂かもしれない」
 火勢がが衰えるにつれ、不安は、いよいよ募ってきた。皆、蒼白である。僧たちは、再三、境内のあちこちに散り、集まり、また散っていった。
 境内の十二坊を、ことごとく探し回った。御影堂も見た。杉林にも、人影はなかった。
 時は刻々と過ぎ、空は明るくなった。しかし、法主の姿を見た者はなかった。くまなく探索した僧侶たちは、自然とまた、客殿の焼け跡に戻ってきた。
 誰の顔も、煤けて、目ばかりギョロリとしていた。皆、顔を見合わせると、言い知れぬ不安を、互いの顔に読み取った。
 火は、大奥、書院、客殿、六壺などを焼いて、ようやく消えた。火事場の、異様な臭気が漂っている。白い煙が、くすぶり続けている。
 僧たちの目は、期せずして大奥二階の管長室に注がれた。
 学童たちは、境内の宿舎に引き揚げていた。農耕隊の兵士たちや、警防団の人たちは、焼け跡のことろどころに固まり、がやがや話し合っていた。
 一人の僧が、大奥の焼け跡の中に入っていった。
 「おい、危ないぞ」
 「気をつけろ!」
 焼け跡の周囲から、鋭い叫び声が響いた。人びとの目は、一斉に、その僧の背に注がれた。その僧は、棒切れで叩きながら、足もとの安全を確かめ、進み始めた。
 彼の姿が消えた。
 しばらくすると、激越な、悲痛な声が聞こえてきた。
 「御前様! 御前様!……」
 一瞬、人びとは息をのんだ。
 その一瞬が過ぎると、二、三人の僧も、焼け跡に飛び込んでいった。そこには、第六十二世の法主・日恭の遺体があった。
15  戸田城聖は、焼け跡の一隅に腰を下ろして、ありし日の客殿のたたずまいを思い返していた。すると、ふと思師・牧口常三郎の面影が、頭をかすめた。
 彼は、思った。
 ″学会は壊滅させられ、恩師は獄死された。これほどの弾圧が、過去にあっただろうか、断じてない。日蓮大聖人の御聖訓に照らして考えるなら、日本の国が焦土となり、滅亡したのも、まさしく、この弾圧の結果ではないのか……″
 彼は、そこに厳然たる因果の法則を見る思いがした。
 彼は、杉木立の梢を見上げた。広々とした大空に目を放った。大聖人の御書の一節を、彼は、われ知らず、かみしめていた。
 「大悪をこれば大善きたる
 御金言は、間違いない。それならば、未曾有の興隆の時は、今をおいて絶対にない。今、この道は、千里の道に見えようとも、それは、凡夫の肉眼の距離にすぎない。死身弘法の精神があるならば、広宣流布は必ず成就できる。
 彼は、閑散とした境内を眺めつつ、腰を上げた。
 「さぁ、いよいよ始まるぞ」
 彼は、静かに力強く言った。皆も一緒に立ち上がった。だが、いったい何が始まるのか、誰にもわからなかった。
 この日の午後、一同は、そろって下山した。富士宮駅でも富士駅でも、長い間、列車を待たなければならなかった。
 寒い、暗い、東京に着いた。
 戸田が帰宅してみると、時計は午前零時を回っていた。

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