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日蓮大聖人・池田大作

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再 建  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
9  戸田城聖は、このような空襲下にあって、早くも新規事業の準備に奔走していた。
 衰弱した栄養失調患者にとって、夏の太陽は、あまりにも暑かった。慢性の下痢は止まらない。腹はミッキーマウスのように膨れ、手足は痩せ細っていた。だが、麻の洋服を着たミッキーマウスは、ステッキを頼りに、焦土のほこりのなかを、東奔西走したのである。
 幾多の曲折はあったが、紙の問題、印刷の問題、事務所の問題と、日に日に不思議にも目鼻がついていった。あとは、事業開始をいつにすべきかにあった。それは、この戦争終結の時期の問題であった。
 ――時を知ることほど大切なことはない。百千万の作戦も、時を得なければ成功することはない。事業も、人間の出処進退も、時を誤れば混乱と敗北を招くだけである。
 彼は、その時期を、ぜひとも、明確に知る必要に迫られていたのである。
 ある日、戸田は、かねて面識のあった老政客・古島一雄の家を訪れた。
 古島一雄は、犬養毅の盟友として、明治・大正・昭和にわたり、政界に活躍した政治家である。隠栖を事としていたが、政変のたびに、必ず彼の名は、政界の黒幕としてジャーナリズムに浮かぶのであった。
 終戦後、一九四六年(昭和二十一年)五月、鳩山一郎自由党総裁が内閣を組織しようとした。その矢先に、鳩山は公職追放令に引っかかるのである。
 その時、結局、後継者は吉田茂に落ち着いたが、実は、真っ先に後継者候補としてあげられたのは古島一雄と、松平恒雄であった。古島一雄が、生涯、いかに隠然たる影響力を政界に保持していたかを物語っているといえよう。
 ――戸田はその日、古島の居聞に通された。
 古島は、碁盤を前に一人、布石の研究に没頭していた。彼は、戸田の姿をチラッと一瞥すると、軽く会釈したが、依然として盤上から目を離さなかった。彼の生活は碁と政治のほかは、なんの興味も示さないものになっていた。
 戸田は、無言で、じっと待っていた。古島は、思いついたように、時折、盤上にパチリと碁石を置き、棋譜と見比べて余念がない。人びとは、この無愛想で気難しい老政客に、いつもてこずっていた。
 戸田もまた、手持ち無沙汰のまま、いらいらと待っていた。何時間かかるか、わかったものではない。やがて戸田の顔に、いたずらっぽい笑いが浮かんだ。彼は一計を案じたのである。
 「古島先生は、あまり碁は強くないと言われていますね」
 「なに?……」
 古島は、初めて口を聞いた。そして即座に向き直った。戸田は、すかさず口をはさんだ。
 「先生は、政界で何番目に強いんですか」
 「そりゃ、決まっているじゃないか」
 「……と申しますと」
 「わしが、最高の方じゃ」
 古島は、鋭い目をキラリと彼に放ってから、うつむいて、くすりと笑った。
 「いや、みんなは、先生は弱いと言っていますよ」
 「いや、そうとは限らん。アッ、ハッ、ハッ、ハッ」
 古島は、とうとう笑いだしてしまった。そして、盤上の碁石を片づけ始めた。
 彼は、戸田が逮捕され、起訴された事件も知っていたにちがいない。だが、何も知らぬふりをしていた。タバコをふかしながら、痩せ細った戸田を、仔細ありげに見ていたが、聞こうともしない。冷たいというのではない。
 彼は、自分の今の力の限界を意識しているのである。狂暴な軍部政府の力は、どうしょうもないことを、彼は骨身に徹して知っていた。
 古島の顔は、時に、くすんだ能面のように見えた。しかし、優れた能面は、場所により、環境によって、その表情を変える。
 明治・大正・昭和にわたる政治社会の権謀術数の風雪が、その能面のような顔を、つくりあげたにちがいない。彼は、己に襲いかかるすさまじい風雪、怒濤を避けなかった。いや、真正面から自分の顔をさらしたにちがいない。
 戸田は、さしもの古島一雄を笑わすことに成功したのだった。
 「先生!」
 戸田は、呼びかけた。彼は、真剣な面持ちで、問題の核心に触れていった。
 「この戦争は、いったいどうなります?」
 「どうなるも、こうなるもない……決まっているじゃないか」
 古島は、平静に、つぶやくように言った。
 「負け戦ですね?」
 戸田の言葉に、古島は無言であった。新しいタバコに火をつけて、煙の行方を追っていた。
 「先生、いったい、いつ終わるんです」
 古島は、ちょっと目を閉じ、どこか親身な調子で口を開いた。
 「なにか、必要なことでもあるのかの?」
 「実は、今度、新規の仕事を始めることになったものですから、その時期が……」
 戸田は、切りだした。
 「仕事というと……商売か?」
 「そうです」
 「そろそろ、よかろう」
 古島は、断定的に短く言った。
 戸田は、計画中の新規事業の要点を、かいつまんで話した。
 「なるほど、時期が問題だなぁ」
 古島は、視線をそらし、口をつぐんでしまった。
 重苦しい沈黙が続いた。
 戸田は、試みに言ってみた。
 「半年?」
 古島は、視線をそらしたまま、軽く首を横に振った。
 「三カ月?」
 重ねて戸田は言った。古島は、また首を振った
 「一カ月?」
 思い切って戸田は言った。
 古島は、戸田の顔をじっと見た。そして、何を思ったか、碁石を一握りつかみ、盤の上にさらさらと投げ出した。投了である。
 「ありがとうございました」
 戸田は、いささか興奮して、古島の屋敷を後にした。
 戦争終結が、極めて間近であると確信した戸田は、一つ一つ、事業計画の実行に取りかかった。紙の確保の見通しもつけた。印刷の手はずも決めた。
 新聞広告取次の会社にも顔を出した。焦らず、着々と駒を進めていったのである。
 それにしても、資金の不足が障害であった。この時節に、成立もしていない新事業に、投資する物好きもいなかった。また、反古同然になっている株券などの有価証券では、金融の道はなかった。
 当時の経済状態は、一種の原始経済に戻っており、物が、すべてを決済したからである。物と物との交換が、最も信頼のおける、確かな経済活動であった。現物にしか価値がないとまでいわれる時代となっていたのである。
 戸田は、有価証券などをしまっておいた押し入れの奥に、一振りの古刀が転がっているのを発見した。戦争の終結が間近ならば、この古刀の価値も、今のうちだと、彼は知ったのである。
 刀好きの彼にとっては、惜しい気もしたが、すぐ古物商を呼んで、それを売り払った。果たして、高い値で引き取った。彼は、″これでよし″と家に引きともって、教案の作成などに取りかかった。
10  戸田の表弱した体は、日を経るにしたがって、ようやく回復に向かっていった。しかし、極度に痛めつけられた体は、そう簡単にはいかなかった。
 彼は、朝夕、歩行練習のため、よく散歩するようになった。
 ある日の夕方、彼は玄関を開けるなり、奥に向かつて大声で言った。
 「おい、お客様だよ」
 幾枝が、急いで出てみると、身なりの貧しい子どもが四、五人、戸田の後ろにいて、家の中をのぞきこんでいる。
 「何かないか。うまいものでもないか」
 戸田は、妻に言いながら、子どもたちを促した。
 「さぁ、お入り、おじさんの家だよ」
 戸田の家の近くの坂上に、かなり大きな寺院があった。家を失った戦災者のある者は、この寺に避難していたのである。避難というより、流れ込んで来たという方が正しいかもしれない。この「お客様」は、その罹災者たちの子どもであった。
 彼は、散歩の道すがら、それらの子どもたちと、いつしか親しくなっていた。さまざまな子どもがいた。また、子どもたちは、彼の散歩のよい相手でもあった。彼の張りつめた心を、和やかにするには、格好の友だちであったからである。
 幾枝は、最初、薄汚れた、時ならぬ「お客様」にあきれていた。戸田の物好きが、また始まったかと、顔をしかめていた。だが、一関に、一人疎開している長男の喬一のことを、瞬間、思わずにはいられなかった。彼女は、茶の間に戻ると、ありったけの菓子を持ち出してきた。
 戸田は、それを、むずむずしている子どもらに、公平に分け、みんなを喜ばせた。そして、笑いを忘れた子どもたちが、明るく微笑むのを、じっと見ていた。
 彼も、喬一のことを思っていたにちがいない。そして、このいたいけな子どもたちの未来を、暗然と考えざるを得なかった。
 この社会は、この世界は、決して大人だけのものではない。次代は、春秋に富む少年や、青年たちの社会であり、世界であることを、大人たちは真摯に自覚すべきであった。いつの時代でも、どこの国でも、指導者が、真実、平等に、子どもたちの成長と幸福を願いさえすれば、間違っても戦争など起こせるはずはなかったからである。
 「さあ、また、明日、遊ぼう」
 戸田が、こう言うと、子どもたちは口々に、「ありがとう」と言いながら散っていった。
 「お客様」の奇襲は、その日から、空襲よりも日増しに多くなってきた。戸田になついて、明るく元気になっていくようであった。菓子の切れている時も、しばしばあった。その時は、小銭を用意して、子どもたちに与えたりした。
 次第に、子どもたちの人数が増えていった。長身の彼が、子どもたちに取り巻かれ、わいわい言いながら街を行く光景は、もはや散歩とはいえなくなっていた。そして、この珍しい交際は、ずいぶん後まで続いたのである。
 この間にも、戸田は、学会の再建を思わぬ日は、一日もなかった。また、心の奥底では、牧口会長の死が、瞬時たりとも忘れられなかった。総本山大石寺の様子も、心にかかって去らなかった。
 深夜、彼は、再建の構想を楽しみさえした。広宣流布の使命を達成すべき、新しい時代への挑戦が、脈々と鼓動するのを、止めようもなかったからである。
 だが、主要な会員の消息は、ほとんどわからなかった。出征中の人の消息も、疎開した教員たちの便りもなかった。また、戸田の出獄を伝え聞いた人びとも、警察をはばかって、彼に近づこうとしなかった。
 会員は、恐るべき退転状態に陥っていた。戸田は、再び御聖訓の厳しさを、しみじみと身で知ったのである。
 しかし、彼は、″焦るな″と心に言い聞かせた。何よりもまず、彼は、目下、保釈の身の上であることを思わなければならなかった。彼は、ひたすら戦争の終結を待つ以外になかった。
 そして、その心を誰人にも語らず、知らさず、ただ自己の身近な再建の固めに終始したのである。

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