Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二節 開かれた家庭と教育  

随筆「私の人間学」(池田大作全集第119巻)

前後
23  かつて、私は、さわやかな初夏の風吹くドイツのフランクフルトの地を訪問したことがある。多忙なスケジュールであったが、その折、文豪ゲーテの生家を訪れるひとときを得た。そして、その時、彼の少年時代のエピソードを聞いた。
 ゲーテは、八十二歳の長き生涯で、数々の不朽の名作を残している。いったい、彼の豊かな創造力の源泉は、どこにあったのか――そのエピソードは、母親との温かくもほほえましい心のふれあいに源泉があったことを、教えてくれる。
 ゲーテの少年時代の様子については、ビーダーマン編『ゲーテ対話録』(大野俊一訳、白水社)や『ゲーテ物語』(菊池栄一、講談社学術文庫)によってうかがい知れる。それによると、彼の母親エリザベートは家庭的でしっかり者の、明るいお母さんであった。彼女がそこにいるだけで、周囲の人々の心を温かく包み込んでいく女性であったという。
 また、星にまつわる物語や、水や空気、そして土などを人物に仕立て上げて、想像力豊かに、わが子に語るのが得意だったようだ。彼女にかかっては、まわりの自然界の出来事がそのまま物語の素晴らしい題材となったのである。ゲーテは母親のその物語の中から生きとし生けるものの鼓動を感じとり、生命への畏敬の念と慈しみの心をはぐくんでいった。
 いつもゲーテは、大きな瞳を輝かせ、時間がたつのも忘れるくらいに熱心に母親の物語に聞き入っている。ときとして、お気に入りの登場人物の運命が彼の思いどおりにいかないと、顔に怒りの表情をあらわし、涙をこらえていることもあったという。
 そうしたゲーテの心を知っていた母親は、その日のうちに物語を完結させず「この続きは、明日の晩にね」と、翌日の楽しみとしたりした。するとゲーテは、ストーリーの進行をあれこれと自分で想像する。そして、その内容を彼をかわいがっていた祖母にだけ打ち明ける。
 そして翌晩、母親の物語の続きと、ゲーテの想像は、多くの場合、一致した。というのも、母親が、祖母からゲーテの想像した内容をそっと聞き、その通りに物語を創作していたからである。
 またゲーテは、自分の想像が母親の話と同じになる楽しさに夢中となった。喜びのあまり、小さな心臓がどきどき波打つほどであったという。
 母親のエリザベートは、こうした心の交流を回想し、「私たちの間には、どちらも相手にもらさない秘密の外交工作がおこなわれていました。それで私は聴き手たちの喜び驚くような工合におとぎ話を聞かせるのがたのしいし、またヴォルフガング(=ゲーテの名)のほうは自分がいろいろの不思議な出来事の作者であることをうちあけずに、自分の奇抜なプランが実現してゆくさまをながめて、目をかがやかせ、その話のすすむのを手をうって喜ぶのでした」(前掲『ゲーテ対話録』)と述べている。
 幼きゲーテは、母親の語る楽しい“おとぎ噺”とともに、その想像力の翼を伸びのびと広げていったのである。何と聡明な母親であろう。彼女は、こうした生きいきとした母と子のふれあいのなかに、ゲーテの想像力を存分にひきだし、限りなく才能の芽をはぐくんでいったにちがいない。
24  幼少年期の「心」の広がりほど大切なものはない。子の時代に培われた豊かな想像力は、生涯にわたる発想と情操の基盤となり、人間としての「豊かな心」の広がりを決定づけていくからだ。しかし、“子育て”といっても特別な論理をこね回す必要はないと思う。何よりも大切なことは、子どもが、自由に夢を紡ぎ、伸びのびと想像の翼を広げていけるよう、楽しく、広々とした環境を作っていくことである。
 人間の能力は無限という。その能力を引き出すのは自信である。自分は必ずできるという確信である。その自信と確信を与えるのが、心からのほめ言葉であり、温かい励ましである。逆に冷たい言葉、傲慢な言葉は、釘を打つのと同じである。釘をぬいても釘のあとは残る。あとで弁解しても、一度傷ついた心は、なかなか、もとに戻るものではない。
 子どもに「あなたはウソつきだから、お母さん、信じない」と言う母親と、「あなたが正直な子なのは、お母さんが一番よく知っているわ」と言う母親と、どちらが正直な子どもが育つか明らかであろう。同じ意味で「ダメな子ね」と決めつけた言い方よりも、「今度は失敗しちゃったね」と一緒にがっかりしてみせるほうが愛情は届くにちがいない。わが子といえども相手を決めつける言葉は、一種の慢心である。“母親は体ばかりか、心も産む”ことを銘記したい。そして心豊かな言葉のかけ橋を絶えず築き上げていくことだ。子どもを信じ励ます母親はある意味では“最後の慈愛の砦”といえるかもしれない。まさに才能の芽は、母親の愛情で、どこまでも大きく広がっていくものなのである。
25  親の生き方こそ子どもの財産――母と子の中秋の名月
 母から子への《語り》――それを考えるとき、語るべき物語は伝統的な昔話にかぎらないと思う。日常の振る舞いそのものが、暗黙のうちに子どもに貴重な教訓を語りかける場合も当然あるにちがいない。
 仏典には、「よき人にむつぶもの・なにとなけれども心も・ふるまひも・言も・なをしくなるなり」という言葉がある。
 これは、「善良な人とむつまじくすれば、自然に心も、振る舞いも、言葉も正しくなっていく」という人生の道理を示したものである。
 まことに人の心ほど微妙に変化していくものはない。とりわけ、雪のように純白な子どもの心は、その人生の揺籃期に出会った環境によって、よくも悪くも、どのようにでも染め上がってしまうものなのである。
 子どもへ何を伝えるか。子どもにとっては、お母さんの日々の行動のすべてが、《語部》ともいえるであろう。その自らの全身で伝える何ものかが、子どもの心にかけがえのない人生の財産として残り、生きていく力となっていくものなのである。
 ある中秋の名月の夕べのことである。私は、心に残る母と子の美しい話をうかがった。東京の団地に住むその親子は、秋の一夜を月を眺めて過ごそうと思い立ったそうである。五歳と三歳になる二人の男の子とともに、母親は月見の準備にとりかかった。
 さっそく、おだんごをこしらえ、近所からススキの穂をもらいうけ、花瓶に生けた。子どもたちは瞳を輝かせて月の出を、今か今かと待ちうけた。
 ところが、久しく続いた長雨のせいで、夜空はいつまでも厚い雲に覆われたままである。晴れる気配はいっこうにない。子どもたちも、心なしか落胆したようすであった。そのとき母親は、子どもたちにこう呼びかけた。「さあ、お母さんと一緒にお月さまを作りましょう!」
 母と子は、紙の上に、大きなまんまるの月を描き、それを壁に掛けた。母親は月にまつわる物語を子どもたちに語り聞かせながら、中秋の名月の一夜を楽しく過ごしたという。
 ささやかなエピソードである。しかし、私には、一幅の名画を見るように、その光景が偲ばれたのである。それは、母親の即興のアイデアに感心したからだけではない。多忙な都会人がほとんど忘れかけている、中秋の名月をめでるという昔ながらのロマンと、母親の子どもへの深い愛情とが、見事に調和して、私の胸に響いてきたからである。
 時代や環境がいかに変わろうとも、母親の豊かな心と知恵によって、子どもに大いなる夢を与えていけることに変わりはない、と私は思う。反対に、いくら子どもには理想を求めても、夫婦げんかが絶えなかったり、何かあると愚痴をこぼしたり、人の悪口を言う母親であっては、子どもは厳しくすべてを感じとってしまうものである。
 仏典には「父母必ず四の護を以て子を護る」と説かれている。
 この四つの護とは「生み」「養い」「成ぜしめ」「栄えさせる」ということである。これは、すべての親の本然的な姿と願いを端的に示したものといってよい。
 ここにいう「成」とは、人生における理想を成就することにも通じよう。では何を「成」じていくのか、また何をもって人生の「栄」とするのか。その基準となる視座が、あまりにも現代は見えなくなっているのではなかろうか。
 物質的にもますます豊かになり、価値観もさらに多様化している社会にあって、ともすれば、表面的な人生の眩惑に親も子も振り回されてしまうことを危惧するのは、私一人ではあるまい。親は子にとって、最も身近な人生の先輩といえる。平凡であってよい。地味であってもよい。失敗もあってよい。しかし、人間としての確かなる「完成」、また虚栄ではない、真実の「栄光」を見つめた自らの生き方の軌跡を、子どもに示していける存在でありたいものである。
 そこにこそ、「ああ、うちのオヤジ、オフクロはやっぱり偉かったな……」と子どもたちがいつか振り返ることのできる、「心」の故郷があるのかもしれないと考える昨今なのである。

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