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日蓮大聖人・池田大作

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後記 「池田大作全集」刊行委員会

「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

前後
4  二冊目の対談集発刊直後の二〇〇五年四月、創価学会広島青年部が企画・運営する「広島学講座」で講演するため、趙博士は来日した。
 ここで博士は、「池田先生、そして創価学会の皆さんは、つねに『相手のために何ができるか』、すなわち自分自身より他者の幸福に力を注いでおられる」「『復讐』の心を「恩返し』の心に変えていく。報復のために命を費やすのではなく平和の未来を開くことに命を燃焼させる。この、被爆者の思いを代弁し、全世界に平和の波動を広げてきたのが池田先生です」と評した。さらに、「悪への無関心」、シニシズム(冷笑主義)が、場合によっては悪そのものよりも恐ろしいということを、聴衆を前に鋭く指摘した。
 その通りであろう。「無関心」という現代社会が生んだ病理が、どれほど人間の心をむしばみ、無意味な対立や、冷ややかな傍観をあおり立ててきたことか。民族、国籍、肌の色……それらで人間同士の連帯を細切れにし、分断に拍車をかけて、いったい何の価値が生まれるというのか。誰が幸福になれるというのか。
 これは二人の対談の大きなテーマの一つでもあった。だからこそ対談は、人間生命のもつ魔性への新たな挑戦へと昇華し、後継の若き友に託す切実な願いとなった。
5  韓国には、「シジャギ・バニダ」ーー「始めることが半分だ」という諺がある。「始めるだけで半分までは、すでに成就している」という意味だ。
 教育への情熱にあふれた韓国の碩学と池田名誉会長との語らいが、二つの世紀をまたいで行われ、結実した。縁深き隣人同士のつ平和への語らい」は、時を経るごとにその大きな意義が認められていくことであろう。日本人も韓国人も、いつでも、どこからでも「始め」られるーー二人の対談は、それを指し示して余りある。
   二〇〇一年一月二日

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