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日蓮大聖人・池田大作

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3 基礎科学は倫理観の覚醒を促す  

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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4  「知識」と「知恵」の架橋が急務
 サドーヴニチィ そうでしたね。それは、現代文明のあり方そのものに、否応なく目を向けさせました。
 たとえば、大自然に比べれば、一人の人間の行為は、弱く、取るにたりないが、創造的で美しい。しかし、反面、人間はどんな巨大な動物にも出来ない大規模な活動をし、地球の地質構造に作用するほど自然を侵食し、それによって多くの生物が生息する環境を破壊しています。当面の繁栄を維持するためには、誰しもが目を向けたくない事実ですが、この危険で猛威を振るう人間文明の素顔を、基礎科学は、冷静にクローズアップし、科学の目を通して人々を納得に導くことができるはずです。
 そこで重要な鍵を握るのは、基礎科学に携わる学者、研究者の研究姿勢と哲学になってきます。
 池田 そこにこそ、私たちが語り合ってきた「知識」と「知恵」との架橋作業が急務となってくるゆえんがあります。焦眉の急を告げている時代的要請といえましょう。
 サドーヴニチィ ええ。次世代、そしてそれ以降の科学者たちが今とどのように変わっていくか、いかなる資質を持つようになるのか、それによって、学術界の展望が見えてくるといっても過言ではないでしょう。
 おそらく将来も、学問は多くの努力を要する労働であり続けるでしょう。たとえ、研究室などの整備がより快適なものになっていくとしても、研究そのものが科学者に要求するものは変わりません。科学者は、相変わらず張り詰めた、複雑な作業を根気強く続けるべく、彼の頭脳と心の全てを傾けなければなりません。
 私は、期待を込めてこう申し上げたい。未来の科学者たちは、これまでの学者のような傲慢を捨てなければなりません。科学を万能として譲らない教条性から自由になって欲しいと願うものです。あらゆる問題を解決する唯一の手段は科学であるといってはばからない従来の科学者の姿勢を改めることが必要です。未来の科学者たちは、私たち以上に、そのことを自覚すべきでしょう。学問は人間に希望を与えることもできるが、方向を間違えば、人間を傷つけ、落胆させることもあり得るのだとの、強い自覚と責任感に立つべきだと思うのです。
 池田 重要な未来へのメッセージです。
 核兵器の脅威を眼前にして、全世界の人々の良心に訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」が謳い上げている高貴なヒューマニズムは、とりわけすべての科学者が共有する精神的規範として、改めてスポットが当てられなければならないと思います。
 「私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心にとどめ、そして、その他のことを忘れよ」(久野収編『核の傘に覆われた世界〈現代人の思想19〉』平凡社)と。
 グローバリゼーションがここまで進み、もはや後戻りすることが許されぬ以上、こうした普遍的ヒューマニズム、あるいは宇宙的ヒューマニズムをバック・ボーンにした真の世界市民を養成していかなければならない。この「宣言」には、私が何回も語らいの場をもったJ・ロートブラット博士やライナス・ポーリング博士も名を連ねておられますので、両博士の温厚かつ不屈のお人柄と重なって、なおのこと、親密さを感じてなりません。
5  50年先の未来への深い責任感
 サドーヴニチィ 時代を先取りした、先駆的な「宣言」と私も思います。
 ですから、高等教育機関に課せられた役割はあまりにも大きいといわざるをえません。未来の学問、科学を創る学者、研究者を育てるのは、他でもない高等教育機関だからです。そして、古今を問わずいつの時代もそうであったように、高等教育の中核を為してきたのは、常に「大学」でした。
 今後50年の学問を背負って立つのは誰か。50年というのは、およそ2世代の学者、研究者が活躍する期間といえます。したがって、少なくとも2025年、もしくは2030年ぐらいまでの学術界の中核となって活躍するのは、現在大学を巣立っていく学生たちということになるわけです。そして、今後5年から10年間に大学に入学してくるであろう学生たちが、21世紀の中盤の学問を支えることになります。
 ゆえに、今、目の前に座っている学生たちの姿、彼らがいかなる教養を身につけて母校を巣立つか、その姿がそのまま、人類の未来を凝縮させているといっても過言ではないのです。
 その意味から、私は、人類の現在と未来の問題を考える時、問題解決の最終的鍵は、どこか遠くにあるのではない、モスクワ大学が如何なる教育を進めるか、いかなる人材を育てるかにあるのだ、との自覚を新たにせざるをえません。
 池田 優れた学者であり、卓越した教育者であられるモスクワ大学総長の、未来への深い責任感、そして学生に対する思い、愛情、期待が熱く伝わってくる言葉です。そうした総長の自覚、気概がキャンパスに張りつめている限り、モスクワ大学は健在であり、学生たちは幸せであると思います。
 前章で語り合ったように、残念ながら日本の大学では、これまでともすると“研究”に重点が置かれてきたように感じられます。大学教授としての評価も、学問的業績の方が主であって、教育者としての側面は、あまり評価の対象とされてこなかったようです。
 しかし、最近は、それをよしとしていることのできない諸事情が顕在してきているようです。
 私は、大学教育の在り方を、根本から見直す時が来ていると思います。
 総長が実践しておられるように、大学の主役はあくまで学生であるということを、私は、創価大学の創立者として、教師の方々に、繰り返し繰り返し訴えてきました。教師たるもの、自己の研鑚を怠ったり、自らの出世、栄転のための手段として学生を考えたりするとすれば、あまりに学生がかわいそうです。それでは、大学そのものの衰退を招いてしまいます。
 サドーヴニチィ 幾度となく創価大学にお伺いし、教職員の方々ともお会いし、創立者のそうした精神が、重く受けとめられていることを、私も、ひしひしと感じています。

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