Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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所感 大学――直面する試練 V・A・サドーヴニチィ

「新しき人類を」「学は光」V・A・サドーヴニチィ(池田大作全集第113巻)

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9  たしかに、教師や学者の価値は、むろん経済的な側面だけで計れるものではありませんが、それでも国家が決めた教員の報酬額をみれば、国が教育をどう考えているかをかなり推し測ることができます。B・スピノザの有名な言葉をご存じでしょうか。「パウロがぺトロについて語るとき、ぺトロについてというより、むしろパウロについて多くを語っているのである(国は教師や学者の価値を決めているようでいて、その実、自分たちの価値観を露呈しているにすぎない)
 「教師」についていうならば、これは教育の根本的問題であり、なかんずく教育の質に関わる問題です。大学で私たちはどうやって学生の学力を評価しているでしょうか。普通は、教師の質問に学生がどれくらい答えられるかを基準としています。学生がより多くの知識と実技能力を発揮すれば、それだけ学力が高いとされます。しかし、教授や教員のほうでも本質的な深い質問をするためには、自分自身が専門分野の最先端にいなければなりません。しかし、さまざまな事情がそれを許さないとしたらどうでしようか。教授自身の能力が衰えたというのではなく、しかるべき文献が手に入らなかったり、研究に必要な設備がない、さらに生活に追われて、研究や教育に没頭できる余裕がないとしたらどうでしょう。そのような教授に、いったいどんな質問ができ、何を学生に求めることができるでしょうか。この問題については、これ以上、詳しく説明する必要もないだろうと思います。
10  現代における教育の役割について、国際社会では、すでにかなり前からコンセンサスができています。一九八八年に行われたノーベル賞受賞者会議「二十一世紀を前にして――危険性と展望」の総括文は次のように明記しています。
 「学問的知識は、一つの権力形態である。したがって、個人も各民族も平等に手にする機会をもっていなければならない。
 多くの国でみられる政治家と学者の断絶を克服することが不可欠である。そのためには政治と学問が社会で果たしているそれぞれの役割を相互に認識しなければならない。
 教育はどの国の国家予算でも絶対的に優先され、あらゆる分野の創造的活動を促進するものでなければならない」
 このような観点は、二十一世紀になっても意義を失うどころか、むしろ新世紀の教育発展の根幹をなすものだと私は考えています。

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