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日蓮大聖人・池田大作

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1 文化と歴史を見つめる目  

「希望の世紀へ 宝の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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4  美しき「三麗さんれい」の島
 池田 歴史の話は、一度始まると尽きません(笑い)。そこで今一度、済州島の自然に目を向けてもよろしいでしょうか。
 春になると、島全体が「菜の花」に覆われ、黄金に輝く。その美しい光景は、幻想的でさえあると聞きます。
  ええ。池田会長がいらしたのは五月(一九九九年)でしたから、それより少し前の時期からになります。春ーー小高い丘など、見渡すかぎり一面に、菜の花が乱れ咲き、済州島全体が光り輝く季節です。
 池田 済州島は、「美しき自然」「美しき果実」。そして「美しき心」で満たされた「三麗」の島です。
 また、別の観点から、三つの宝物ーー「三宝」の島であるともうかがいました。
 それおれ、詳しくおうかがいしてもよろしいですか。
  はい。いずれも、一九六〇年代以降に生まれた言葉だと思います。
 内訳は、解釈によって微妙に異なるのですが、「三麗」「三宝」とも、「自然・民族・土着産業」のことを指したり、「特産物・水産・観光」のいわゆる「資源」を指したり、あるいは「済州の温かい人心・美しい自然・特異な産業構造」を挙げたりと、時代や文献によって、さまざまであるのが実情です。
 しかし、もっとも理屈にかなっており、「三麗」とは審美的・情緒的概念を指し、一方「三宝」とは社会的歴史への効用的価値を意識した概念を指し、それぞれの概念を区別して整理するというものです。
 池田 よくわかります。
  この判断基準で考えるならば、「三麗」には、池田会長が挙げられたのとほとんど同じく、「自然景観」「花と実」「人心」の審美的な美しさを挙げたいと思います。
 済州島は、ハワイやスイスなど、世界的名所に比べても、少しも遜色なく美しい所であるという評価は、すでに定説となっています。
 漢拏ハルラ山以外にも、断崖をなす岸壁や海岸の絶景など、詩にも詠まれ、観光客が絶賛する豊かな自然があります。
 池田 私も、滞在中、その情景に、目を奪われました。済州島の自然に学ばせていただくつもりで、何枚かのシャッターを切らせていただいたことが、昨日のようです。
  とくに、池田会長の、あの「虹」の写真はすばらしい!
 長年、済州島に暮らしているのに、あのような漢拏山にかかる虹を見事にとらえた写真は、見たことがありません。
 私は、池田会長を済州島全体が歓迎しているのだと感じました。
 池田 ありがとうございます。
 創価大学・創価女子短期の短期語学研修(二〇〇一年八月)で済州大学を訪れた学生たちにも、あの虹のことを語っていただいたとお聞きしました。わが学生たちに深い愛情をお寄せくださったこともうかがっています。あらためて御礼申し上げます。
  とんでもない。感動したことを、そのまま語っただけのことです。
 さて、「三麗」の二番目ですが、これには「花と実」を挙げたいと思います。
 「自然景観」とあえて区別したのは、済州島が単一の火山島としては、極東で最も植物の種類が多い山の一つと言われているからです。
 その植物の花の実もまた多種ですが、とくに山いっぱいに咲く花つつじ、ふもといっぱいに咲く黄色い菜の花、秋と冬にたわわに実る黄色いミカンが、とくに印象的です。ミカンの黄色は、山の中腹を黄色の「ベルト」で染めるのです。
 池田 どれも、「一団となって」咲いたり、実ったりする。しかも赤や黄色といった、暖色系が多い。漢拏山にかかる「ミカンのベルト」を想像するだけで、心が明るく、温かくなります。
  「三麗」の三番目は、なんと言っても「人心」です。
 「人心」は正確には、審美的概念ではありませんし、社会に温かい絆を築きながら信頼を強くするという意味では、効用的価値ーーつまり「三宝」の側面もあるかもしれません。
 しかし、もっと踏み込んで考えるならば、社会生活において道徳的、倫理的な感動を与えながら、人間関係を「美しくさせる」という意味で、審美的な側面もあると言えると思うのです。
 池田 「美しい人心」、つまり「美しい人間関係」は、ある意味では、「美のなかの美」「この世の最高の美」と言えるかもしれませんね。
  済州島民は、困難な生活環境を開拓していく過程で、個人的には勤勉、節約、自立の精神を養いながら、人間関係や社会関係においては相互で助け合って生きてきました。
 隣人同士は腹を割って付き合い、つねに信頼を保ってきたのです。
 とくに、恵まれない人たちに対する思いやり、労を惜しまぬ純情な心遣い、客に対する手厚い歓迎は、古来守り続けられた済州島の生活観であり、島民の誇りです。
 池田 美しいお話です。
 日本でもかつては、そのような思いやりに満ちた「人間の触れ合い」が、地域にかぎらず、見受けられました。
 戦後しばらくは、国民全体が貧しく、物もなく、「助け合いの精神」がいたるところで発揮されたのです。
 日本人がそのような精神を急速になくしていってしまったのは、やはり高度経済成長期と重なるのではないでしょうか。
 経済力が幸・不幸の「ものさし」となってしまった。物質的な豊かさを求め、欲望をかぎりなく肥大させていったのです。
 そのころから、日本人は自分たちを、その「ものさし」に当てはめてしまっただけでなく、アジアをはじめとする世界の民衆をも、無理やりに、「ものさし」に当てはめるようなものの見方をするようになりました。
 その「ものさし」を「経済力」やその他の基準ではなく、もう一度「人間」に戻そうとすることこそ、創価学会やSGIの活動の目的の一つなのです。
  池田会長と何度か語り合うなかで、私が強く共感する一点です。
5  豊かな「三宝」のユートピア
 池田 美しき「自然景観」「花と実」「人心」ーー「三麗」の済州島。
 なんとすばらしいユートピア! まさにあこがれの地です。
 私も実際に島の皆さんにお会いして、「美しき人心」を実感しました。
 また詩情豊かな風土に触れ、かぎりなく詩心を呼び覚まされました。この島は詩人を育む地だなと思いました。
 ところで、「三宝」のほうは、何が挙げられますか。
  これも諸説あるのですが、先ほどの判断基準から考えると、「水」「生物」「方言」になるかと思います。
 まず「水」。観光産業の陰になって意外と知られていないのが、済州島の水はおいしいんですよ。
 済州島の水は、玄武岩のすき間を
 通りぬけ、アルカリ分・鉄分を豊富に吸収し、ミネラルが適量含まれていることで定評があります。
 少し前まで、大韓航空の国際線の中だけで使われていました。
 池田 貴重な「名水」なのですね。
  近年になって、市販されるようになりましたが、最近では逆に、地下水の水不足を心配する声が高まっています。
 「三宝」の二番目は、「生物」です。
 陸上の動植物のみならず、近海中の動植物も種類・量ともに、豊富であり、しかも食用とする場合でも、大変質がよいと言われています。
 これら生物資源が豊富なのは、一つの島の周辺で亜熱帯性、温帯性、寒帯性の三つの気候が入り交じり、加えて海流もほどよく流れていることによるものです。産業を興すのにも適切な条件を与えていると言えます。
 池田 島全体が、天然の巨大な博物館とも言える。
 人間だけでなく、あらゆる生物にとっても「ユートピア」ですね。
 ところで、三つ目が「方言」というのは、おもしろいですね。
  済州島は、韓半島と離れているという地政学的理由から、文明の伝播に不利であるも言えるのですが、その半面、伝統的な文化を保持するのによい条件であるとも言えます。
 事実、済州島は、独特な民族や伝説を多く残しています。
 なかでも「方言」については、古来のものがそのまま残っている場合も少なくありません。
 戦後の学校教育により標準語を使うことが多くなったのは確かですが、今でも郊外の老人たちは日常的に済州方言を使っているため、その分、他の地域より、多くの方言が残っていると思われます。
 池田 「方言がもつ力」については、どのようにお考えですか。
  方言にかぎらず、伝統的な文化が保存されているということは、過去の祖先の生活における合理的な知恵を見つけ、その知恵を現代の生活に応用するのに役立つことになると思います。
 そうして生まれた文化の精神的あるいは心理的安定感が、文化のダイナミックな力動性をも助長するのだと思います。
 ちょうど、祖父や祖母にかわいがられて育った孫が、精神的にも安定して力を発揮するようなものです。
 池田 なるほど。よくわかりました。
 その「孫」は、歴史的、地勢的位置などから、見方を変えれば「日本」なのかもしれません。
 貴国の文化という大いなる知恵を吸収し、自分たちの生活に応用していった。そして、現在の豊かな生活を築き上げた。
 しかし、いかんせん、その「孫」は、残念ながら「恩知らず」でありました。
 済州島ーー「三麗の島」「三宝の島」。
 私たちの祖先は、済州島からも貴国からも、絶大な恩を受けています。
 日本人は、断じてそのことを思い出さねばならない。
 両国の未来と真の友好のために!

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