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日蓮大聖人・池田大作

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我らの勝利の夜明け 大中国にそびえ立て 平和の大城

2003.10.22 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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6  二十世紀から二十一世紀にかけ、私と中国の同志が刻んできた共戦の歴史は、十年ごとに大きな節目があった。
 昭和五十年――一九七五年には、私は、広島で行われた本部総会で、核廃絶を全世界にアピールした。この年を「第一の十年」の起点として、私は、恒久平和の大道を開かんと、本格的に世界を走った。
 一九八五年には、広島で初めて開催された世界青年平和文化祭が、「第二の十年」の幕を劇的に開いた。この「第二の十年」の後半に入り、学会は、あの堕落の宗門と離れ、「人間のための宗教」「世界平和の宗教」として大きく飛翔したのだ。
 そして、「第三の十年」に入る一九九五年――。
 この年の五月、八王子の東京牧口記念会館で指揮をとる私の耳に、遠くから力強い足音が地響きとなって聞こえてきた。
 学会の原点である牧口記念会館で、わが偉大なる中国方面の青年たちが総会を開くというのであった。
 中国が一番乗りだ!
 私の胸は躍った。ここは、広宣流布の戦士が集う殿堂である。どの方面の青年が一番乗りで進軍して来るか、私は楽しみにしていた。
 私に対する、島国・日本の嫉妬と攻撃の嵐が、荒れ狂っていった時期である。大変な狂気の時代であった。そのなかで、未来の時代を決定しゆく青年たちが、勇んで正義の力を高らかに叫びながら、わが創価の本陣に集ってくるのだ。
 だからこそ、私は、この使命を深く自覚した青年たちに会いたかった。代わりに何人かの幹部を出席させればいいだろうという話も出たが、私は一蹴した。
 「弟子が勝って集ってくるのだ。師匠が会うのは当然だ。戦い切った弟子たちに会わないことは、もはや師弟ではない」
 天高き秋には、広島で十年ぶりの世界青年平和文化祭も予定されていた。
 日本と世界の将来のためにも、中国方面に偉大なる人材の城を構築しゆくのは、今をおいてない!
 五月七日、記念すべき第一回の青年平和総会で、私は、吉田松陰の行動力を通し、満腔の期待を込めて訴えた。
 君たちよ、行動また行動の実戦で自身を鍛えよ!
 広宣流布の「若き松陰」たれ!
 維新回天の激しき原動力となった山口県をはじめ、中国の各県は近代日本の多彩な指導者を輩出してきた。宰相の座についた政治家も多い。牧口先生の「創価教育学説」の支援会に名を連ねた、犬養毅首相も岡山の出身であった。
 いわば、今日の政治風土の原型をつくった天地である。ゆえに、ここに新たな人間と人間の「不滅の平和の大城」を築き上げる使命はあまりにも大きい。
 いっさいは人材で決まる。広宣流布の全責任を担い立つ青年の成長で決まる。
 古代ギリシャの哲学者プラトンは叫んだ。
 「一個の人間全体の善悪はすべて、たましいに始まり、そこから流れ出してくるのだ」(『カルミデス』山野耕治訳、『プラトン全集』7所収、岩波書店)
 中国の青年たちは、決然と立ち上がった。いな、猛然と立ち上がった。
 私は思い出した。インドの詩聖タゴールの言葉を。
 「不可能なことをみずからの力で可能にするのが人間の働きである」(『真理の呼び声』蛯原徳夫訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)――ということを、尊きこの青年たちに感じ取った。
 一九九七年の冬から翌年にかけ、全国の青年部が核廃絶を願って推進した、「アボリション二〇〇〇」の署名運動を牽引したのは、まぎれもなく中国の青年であった。この青年たちの"平和への大運動"に呼応して、壮年たちも、婦人たちも、自然に一体となり、平和への大行進の旋風が巻き起こった。
 「一切のものは、実は動きであって、それ以外の何ものでもない」「静止は腐らせたり滅ぼしたりする」(『テアイテトス』戸塚七郎訳、『プラトン全集』)
 かの哲人プラトンが語った通り、広島の友は全速力で駆けた。岡山県でも山口県でも、無名の庶民の英雄たちは中国路を走りに走った。
 日本海から寒風が吹きつける島根県や鳥取県でも、青年と一緒に、友だちの家々を回りゆく、気高き平和運動の創価の婦人たちの姿が数多くあった。
 団結とはかけ声ではない。理想論でもない。結局、行動のなかにしか、真実の崩れぬ団結は生まれない。
 「アボリション二〇〇〇」の全国の署名数は千三百万を超えた。そのなかで中国は、大都市圏を抱える他の方面に伍して、多大なる平和の声を結集した。中国五県が一丸となった歴史的な証である。
 その尊き結晶は国連に届けられた。被爆地・広島の平和の声は重く、世界を動かす力となった。
 平和の原点として、求めて広島に足を運ぶ各国のリーダーはあまりにも多い。
 まさに中国方面は、人類がその発信に耳を傾ける「世界の中国」である。正義の声、平和の声を、断固と轟かせる使命ある中国なのだ。この姿を、日本中の青年たちが、いな、世界中の青年たちが必ずや見つめているにちがいない。
7  我らがめざす次の目的地は二〇〇五年――学会創立七十五周年。その年は広島の被爆六十年にもあたっている。
 「第三の十年」の高嶺への遠征は、今まさに八合目から九合目、胸突き八丁の正念場となってきた。
 「戦う中国」よ、今再び立ち上がれ!
 「獅子の中国」よ、走れ!
 ただ前進、あくまで前進、前進だ!
 汝自身の頂点をめざして!
 永遠なる平和の大城・中国の建設をめざして!
 スイスの哲学者アミエルは言った。
 「平和そのものが闘争である。否むしろ闘争、活動が法則なのだ」(『アミエルの日記』1、河野興一訳、岩波文庫)

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