Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

今再びの師弟の陣列 大関西に“常勝”と“団結”の大金字塔

2003.10.7 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
7  私が名誉会長として初めて関西を訪問したのは、学会創立五十周年にあたる一九八〇年(昭和五十五年)の四月であった。
 そのまま第五次訪中に旅立った私は、続いて九州指導を行い、再び大阪へ戻った。
 そして、五月三日の「創価学会の日」を、私は、第二の故郷である大関西で迎えた。私の築いた、私と生死を共にしゆく、私の真実の弟子が集まる常勝の大関西で迎えたのだ!
 豊かにして壮麗な五月晴れであった。最善の常勝の空であった。
 落成まもない新・関西文化会館は、遠くまた近く、永遠なる輝きを放つとともに、広布の魂をひたむきに、精神の王者の如く形成されていた。堂々と、青空にそびえ立っていた。
 私は心に強く決めていた。
 ”私が頼りとし、心から信頼できる関西の同志と、永遠の祝賀の「五月三日」を痛快に祝うのだ! 去年のあの悔しさを断じて忘れるな。学会は学会らしく、断じて勝利する戦いをするのだ!”
 私の体は疲れきっていた。しかし、私の魂と、関西の同志の魂が互いに一体となった歓喜と決意の渦巻きに、私は勇んで飛び込んでいった。いずこに行っても、記念勤行会の会場には、大歓声の爆発があった。
 私は嬉しかった。学会は勝った。不死身の如く立ち上がった。
 永遠に勝ちゆく法則を、関西がつくり上げた。
 新出発を互いに祝賀しあいたいと、何ものをも恐れず、立ち上がった友は無数であった。その行列は限りなく続いていた。無我夢中で駆けつけて来た友も多かった。
 学会は厳然と再び立ち上がったのだ。関西は、その先頭をきって立ち上がったのだ。
 私は、私の決意を、関西の同志の決意のなかに放った。
 「何があっても、共に戦おう。何があっても、学会は勝ち抜こう。何があっても、創価の使命は、勝ちまくって歴史を残すことだ。真の人間の強さは、真の信心の強さなのだ。断固として、同志として戦い抜こう! そして断じて勝利しよう!」
 すべての会場で、関西魂は燃えに燃え上がっていた。
 その使命と決意の信心の陣列は、大きく、そして深く、全世界へと広がっていった。それが巨大な波動と衝動となって、限りなく、今日までも広がってきたのである。
 私の滞在は七日間であった。しかし、まさに、永遠なる勝利への原動力、そして推進力となったのである。
 その関西の英雄の同志は、実に五万人が集合したのであった。
 こうして関西に燃え上がった師弟一体の大攻勢の炎は、十年後、二十年後、いな二十一世紀の創価の勝利を、決定づけていったのである。
8  古代ギリシャの詩人ピンダロスは声高く歌った。
 「そこは、勇敢な行ないの数々による
 無数のいさおで名声赫々たる町である」(『祝勝歌集/断片選』内田次信訳、京都大学学術出版会)
 わが関西には、わが大阪の街々には、広宣流布の誇らしき偉大な歴史が点々とある。地涌の戦士である勇敢な庶民の勲が、赫々として輝いている。今再び、常勝関西には、一段と高き新たな広布の金字塔が打ち立てられようとしているのだ。
 使命深き偉大なる関西の友よ、私と共に、一生涯、勇敢に戦ってくれ給え!
 今、君たちがいる場所で、今、君が戦いを起こした所で、断じて勝ちまくってくれ給え!
 そして、正義と友情の常勝不敗の連帯を、限りなく広げていくのだ。“常勝の先頭”に立つ世界の大関西よ、大阪よ、勝って、勝って、勝ちまくれ! 粘り強く、朗らかに、関西らしく、君らしく、「新しき五十年」の栄光の扉を開いてくれ給え!

1
7