Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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霧ケ峰の誓い 人間世紀の夜明けの鐘を

2003.8.18 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
3   さらに、一九八九年(平成元年)に至って、長野青年研修道場がオープンし、多くの後継の人材が、創価の誓いを胸に、勇み参集するようになったのである。
4  初めての霧ケ峰で、私は、長野の出身である、島崎藤村の名作『夜明け前』に触れて、青年たちに語った。
 「藤村は、小説で明治の夜明けを描いた。しかし、近代日本は、暗黒の悲惨な戦争に突入し、あの敗戦で滅んでしまった。我々は、もっと深い次元から、東洋の、また世界の夜明けをつくっているのだ」
 清純な皆の目が光った。
 我らの手で、世界の「希望の夜明け」の鐘を打ち鳴らすのだ!
 新しき「平和の夜明け」を開くのだ!
 青年こそが、新しき夜明けの光であるからだ。
5  そして、一九六一年(昭和三十六年)七月のことであった。早くも第六回となった水滸会の野外研修が断行されたのだ。
 この自身の鍛錬と向上の機会を、初々しい指導者たちが、心から喜び、楽しみに集ってきた。
 夕刻、皆でキャンプファイアーを囲んだ。しかし、変わりやすい高原の天気は、やがて強い雨となった。
 順調な時には思い出は少ない。苦難があった時の思い出は、深くいつまでも忘れないものだ。
 若き指導者たちは、その大雨の中、敷いていたムシロを傘がわりに、「雨よ、何するものぞ」と意気軒昂であった。
 皆がびしょ濡れになって、躍り動いている楽しい姿は、今でも忘れることはできない。苦難は、勝利の人間をつくるからだ。
 降りしきる雨の中、私は、愛する青年、いな、弟子に語った。
 「私の念願は何か。それは諸君が、将来、広宣流布のため、人類の平和と幸福のために、世界の檜舞台に雄飛していくことである。それが戸田先生の念願であった。私の行動も、すべて、そのためであり、それを最大の楽しみとして、全力で道を開いているのだ……」
 君たち青年は、私の宝だ。私の命だ。私と共に、大理想を実現する同志だ。
 自分の弱さに負けたり、つまらぬことで失敗など、絶対にさせたくない。
 そのためにも、私は、大事な青年に訴えずにはいられないのだ。
6  私は、皆が尊敬する戸田先生の言葉を、幾度となく語ってきた。
 「青年は、望みは大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。はじめから、望みが小さいようでは、なんにもできないで終わる」
 時代は「大志の人」「大望の人」を求めている。
 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」(山田済斎編『西郷南洲遺訓』岩波文庫)
 これは、西郷隆盛の「南洲遺訓」の一節である。
 戸田先生も断言された。
 「名誉欲も金欲もかなぐり捨てることだ。これらを捨てている人間ほど強く、手のつけられぬものはない」
 新しき時代を切り開く逞しき人材を育てるには、やはり厳しき訓練がどうしても必要になってくる。峻厳なる魂と魂の打ち合いなくして、信念の筋金が入った本物の人材は育たないからだ。
 御聖訓には、「鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし」%(御書九五八頁)と仰せである。今や、私は、この御書を色読できたことを、最高最大の誉れとしている。
 わが後継の青年よ!
 強くあれ、強くあれ、断じて、断じて強くあれ!
 今を勝て! 今日を勝て! 明日を勝て!
 そこに、人生の常勝の方程式があるからだ。
 そして、広宣流布の新たなる険難の山へ、忍耐と希望と愉快さを忘れずに、断固として挑んでいってくれ給え!
 尊き信仰という燃え上がる魂で、夢に見た、輝き光る人生の大勝利の開幕を飾ってくれ給え!

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