Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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使命の大道 敢然とこの道進めや一筋に

2003.5.17 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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5   惑わずに
    断固 生き抜け
      この道を
    信なき言論
      煙の如しと
 日蓮大聖人は、ある御手紙の中で、御自身を「通塞の案内者なり」と言われた。「通塞の案内者」――少々難しい言葉だが、簡潔に言えば「通れる道と塞がった道の様相を知る案内者」ということである。さらには、「成仏という幸福の道を開き通し、地獄への道を塞ぐ大指導者」という意味となろうか。
 ともあれ、広宣流布のリーダーは真剣に祈り、智慧を振り絞って、わが同志の勝利の道を開きながら、賢明に勇敢に、指揮をとっていくことだ。一人の「ふざけ」や「おっちょこちょい」が大事件につながってしまうことは、社会によく見られるところだ。
 人生も仏法も、油断や慢心に流されれば、敗北の坂を転げ落ちてしまう。ゆえに指導者は戦わねばならない。陰険な悪人にたぼらかされ、同志を悪道、邪道に迷わせては、絶対にならない。
 ただ、いくら教えても堕落する人間はいるが、それはそれである。「人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや」と仰せの通りだ。
 広布遠征の途上にあって、何の苦労もなく、開かれる道は一つもない。艱難険路の連続であることは、御書に照らして当然のことだ。
 しかし、我らには、御本尊がある。妙法がある。
 御聖訓には「妙と申す事は開と云う事なり」と明確に仰せである。
 もう駄目だという絶望などに、仏法の勇者は屈しない。いわゆる"行き詰まり"は絶対にないのだ。
 めざす山を越えれば、また次の山へ――広宣流布とは、常に希望の山をめざして、新たな道を開き続ける連続闘争である。
 戸田先生は、一九五七年(昭和三十二年)の暮れ、我らの宿願であった七十五万世帯の達成を眼前に、私に言われた。
 「大作、あと七年で、二百万世帯まで戦いたい」
  師は、既に次の戦闘を開始しておられたのだ。
 さらに翌年二月の朝、大阪から戻ったその足で、ご挨拶に伺うと、先生は語られた。
 「三百万世帯だ」と。先生のご胸中では、広宣流布の戦いは猛スピードで進行していた。
  弟子は師の勢いに驚いた。いな、嬉しかった。若き闘魂は燃え上がった。
 「勇気がわきます。私は弟子です。先生のご構想は必ず実現してまいります!」
 先生は笑みを浮かべて、言われた。「一千万の人が信心する時代がきたら、すごいことになるぞ。楽しみだな……」
 それは師の夢であり、弟子の夢となった。
 大願に生き抜く人生は幸福である。常に、「これから」出発であり、常に戦闘開始である。その雄々しき戦う一念に、常勝の道は洋々として開かれるのだ。
6  巡り来る五月十九日は、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の創価学会の常住御本尊が認められた記念の日である。
 古く「すべての道はローマに通ず」といわれた。
 我らの「慈折広宣流布の道」は、すべて人間に、いな、「人間の勝利」に通じている。
 誰もが心から"人間万歳"と叫べる「永遠の都」に通じる大道――それが「一切衆生皆成仏道」という仏法の人間主義であるからだ。
  御聖訓
    拝するままに
      敢然と
    この道 歩めや
      我が道 進めや

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