Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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人間共和の輝く足立 民衆は偉大! 我らは勝ちたり

2003.5.8 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
3  わが足立支部の躍進は大河のごとく、日ごとに勢いを増し、水嵩を増していった。
 その溢れんばかりの生命力の奔流は大東京を潤し、やがて北は北海道へ、南は熊本、鹿児島へと、全国に幸福の緑野を広げたのである。
 たとえ他が一息つくような時でも、健気な足立の友は前進の歩みを止めなかった。
 誰が見ていなくとも、誰が誉めてくれなくとも、祈って動いて、また喋り抜いた。
 戦い抜けば、諸天善神も必ず動く。妙法は、絶対に勝てる法則なのである。
 一九五七年(昭和三十二年)三月、足立支部は、遂に二千二百六十六世帯の弘教をもって蒲田支部を抜き、堂々の全国制覇を成し遂げた。
 師と共に、悔いなく戦い、勝ちまくることは、弟子として、なんと最高無上の喜びであり、栄誉であろうか!
 以来、幾多の激戦また激戦を乗り越え、勝ち越えながら、名実ともに「東京随一の足立」となった。ということは、足立が「日本全体の原動力」になったということだ。
 そして、それは、足立こそ「世界の広宣流布の牽引力」なり、ということなのである。
4  フランスの作家スタンダールは言った。
 「本当に偉大なものは少しも気取らずに、ごく素直に行動するにちがいない」(小泉隆雄訳編『スタンダールの言葉』彌生書房)
 その通りだ。これが学会員の皆様の姿である。そして、偉大な民衆の都・足立の同志の人間主義の輝きだ。
 来る日も来る日も、友のため、社会のため、忍耐強く戦う、仏に等しい創価の友よ!
 わが町、わが地域を心から愛する庶民に、垣根はない。あの人も、この人も、大切な仲間である。格好でもなければ、気取りでもない。飾り立てた地位や名声などいらない。ありのままの人間同士として出会い、語り合いたい。これが、私たち庶民の素朴な願いだ。
 どんな友情も、最初は知らない者同士の出会いである。自分が引っ込み思案では、友情も深まらない。勇気をもって、挨拶する、会う、語る、縁を結ぶ――この日常の誠実な振る舞いのなかにこそ、わが生命の宇宙を伸びやかに開発しゆく人間革命もあるのだ。
 「あけっぴろげが内外いずれの世界でも勝利をうる」「卑劣なずるい人間はひとりあっても見つけだされてさげすまれるだろう」(「『草の葉』〈初版〉の序」夜久正雄訳、『ウォルト・ホイットマン』所収、研究社)
 とは、アメリカの民衆詩人ホイットマンの確信であった。
5  「第一次宗門事件」の渦中の昭和五十六年の十月二十五日――。わが足立の同志は、あの一万五千人の友好総会を決然と行い、反転攻勢の烽火をあげた。
 さらにまた、昭和六十二年九月十二日にも、創価大学を舞台に、忘れ得ぬ足立の青年平和文化祭を、繰り広げてくれた。
 この文化祭には、アメリカのキッシンジャー博士も出席された。
 足立の若人の躍動する演技に合わせて、私が一緒に踊り舞う姿を、隣の博士も心から楽しそうに見守っておられた。
 その博士は、私との対談集で、指導者の任務について論じておられる。
 それは、今までできないと考えられてきた行動に向かって、民衆の持っている最高の資質を引き出すことにあるとの指摘であった。
 民衆の無限の可能性を引き出すことが、あらゆる組織の役目であらねばならない。
 広宣流布という人類究極の目的に向かって、民衆の力を引き出し、結集しゆく学会の使命は、あまりにも大きいのだ。
 今や東京において、いな、日本において、その民衆力が劇的に涌出する大舞台こそ、わが足立である。
6  日蓮大聖人は、師弟一体の勇敢な祈りを教えられ、こう仰せである。
 「はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし
 我らには、無敵の信仰がある。不屈の信念がある。金剛の団結がある。
 ゆえに、打ち破れない壁など断じてない。
 その模範の中の模範が、足立である。
 東京の王者・大足立よ!
 常に勇気凛々と、皆を勝ち戦へ引っ張ってきた、民衆の大長者たる足立の友よ!
 その無限の力を、いよいよ借しみなく発揮してくれ給え!
 君たちの尊き手と手で、完全勝利の鐘を、高らかに打ち鳴らしゆく栄光の時が遂に到来したのだ。

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