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日蓮大聖人・池田大作

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日中国交三十周年に念う 青年よ続け! 万代友好の大河

2002.8.19 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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3  全青連と学会青年部との交流が開始されたのは、一九八五年(昭和六十年)三月のことである。
 この時、全青連の主席(訪日団団長)として来日されたのが、現在、新世紀のリーダーとして活躍される胡錦濤副主席(=後の国家主席)である。知性と情熱を秘めた瞳が印象的だった。
 胡副主席は、四年前(九八年)、東京で十三年ぶりに再会した折に、こう語られた。
 「今日の中日関係は、前人の事業を引き継ぎ、未来に発展の道を開くという重大な段階に入りました」
 「いかに後継者をつくり、世々代々に友好を伝えていくかが大事だと思います」
 急所を突いた言葉である。私は率直に語った。
 「そうです。一番大切なのは『青年の熱』です!」
 思えば、一九七四年(昭和四十九年)五月の下旬、私は、初訪中への出発の折、空港に見送りに来られた方々に語った。
 ──政治や経済の次元にとどまらず、永遠性の次元に立年交流」が一段と大切になる。真実の人間と人間との友好によった「文化交流」「教育交流」「青年交流」が一段と大切になる。真実の人間と人間の友好によって、揺るぎなき平和の基盤を、さらに、堅固にしていきたい、と。
 第一次訪中団の平均年齢は三十五歳。わが学会の訪中団は、その出発点から、青年の友好交流団であった。
 「青年の熱」が「世界の温度」を決める! 青年と青年が熱情ある交流をしていく以外に、平和友好が発展を続ける道はない! これが、私の不変の信念であった。
4  昨年、訪中した学会青年部の交流団は、日中戦争の勃発地である盧溝橋の抗日戦争記念館や、ハルピンの七一三部隊の本部跡を訪れた軍国主義の残酷な爪痕を目の当たりにし、平和への決意を新たにしたようだ。
 この訪中団には、発行部数百万部を超える中国最大の青年向け新聞である「中国青年報」の女性記者が同行した。彼女は取材を通して、日本の青年へのイメージを一変させたという。それまで知り合った日本の青年は、前進の息吹がなく、安逸を貧り、マイナスイメージばかりであったようだ。
 しかし、学会青年部には、「責任感があり、楽観的で、教養があった。その一挙手一投足に私は感動を覚えた」と感想を綴っている。とりわけ、「歴史を正視する真摯な態度」に感銘を受けたとのことである。
 民衆を苦しめる国家主義の悪には、真実の眼と正義の怒りをもって戦わねばならぬ。「しき歴史認識」こそ日中友好の第一歩である。
5  今夏も、青年部の友好交流団が訪中した。最初の訪問地の北京に引き続き、西安(シーアン)、上海に向かう予定である。
 さらに九月には、婦人部・女子部が一体となっての女性訪中国も出発する。
 皆様の無事故と大成功を、私は真剣に祈っている。
 「貴重な友情をいただくだけで、お返しをしない、というようなことは、私にはできない。いただいた友情を立派に花咲かせ、実を結ばせなければならない」(『随想録』石上韶訳、筑摩書房)とは、現代中国の大作家・巴金氏の一言葉である。
 青年よ、先人の奮闘で聞かれた友誼の道は眼前にある。
 この道を、勇気と情熱で、さらに壮大に開け! 万世に友情の花を咲かせゆけ!
 新世紀の”金の橋”は、君たちの信義の握手と、誠実な前進と共に、いやまして輝き広がってゆくのだ。

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