Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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わが原点 八月十四日 師は厳しかった 弟子は嬉しかった

2002.8.14 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
6  私が、初めて大阪の天地を踏み、広布の大闘争を開始したのも八月十四日であった。
 師と出会ってから五年後の昭和二十七年の夏---今から五十年前である。
 私が乗った特急つばめ号が、淀川の鉄橋を渡り、大阪駅にすべり込んだのは、すでに夕暮れ近くであった。
 翌十五日には、戸田先生が大阪においでになることになっていた。
 私は、ここ大阪に、東京と並ぶ、否、それ以上の〝広宣流布の大城″を築くために、師の戦いを一人、陰で支え抜くと決めていた。
 それには、自分自身が広布拡大の最前線に、果敢に打って出ることだ。
 私は、大阪に着くと、直ちに堺市の座談会へ走った。
 翌日は、いよいよ戸田先生を迎えての「仏教大講演会」である。大阪城の前にある大手前会館が会場だった。
 私も登壇者だったが、開会前のわずかな時間を見つけ、路上へ飛び出した。
 大阪の同志と一緒に、参加を呼びかけるビラを配った。粗末なワラ半紙に、折伏精神に満ちた勇ましい文字が躍っていた。私は、一兵卒となって、道行く人にビラを渡し、声をかけた。たちまちシャツは、汗でびっしょり濡れた。
 褒める人など一人もいない。怪訝そうな顔、敵意や好奇の視線……様々なまなざしを浴びながら、ただ青年らしく、誠実に参加を訴えた。
 広宣流布の断行という師の願業を、弟子として共に開きゆく、無言の喜びだけが五体を包んでいた。師弟の道は、どこか遠いところにあるのではない。人びとの幸福のために戦う、現実の闘争のなかにある。
 この夏から四年後の昭和三十一年、〝大阪の大法戦″において、私は関西の同志と共に、一カ月で一万一千百十一世帯という折伏の不滅の勝利の金字塔を打ち立てたのであった。
 今日まで、その広布の大業を乗り越えた歴史は、いまだない。
 勝ってこそ弟子である。弟子が負けてしまえば、師弟の敗北である。
 二十一世紀、我らの勇敢なる行進は、新たな大山脈をめざしているのだ。
 わが誇り高き創価の同志よ、今再び、痛快にして未曾有の、勝ち戦の絢爛たる歴史を永遠に残しゆく、師弟の人生の大道を生き抜き、勝ち抜き、飾りゆこうではないか!
7  戸田先生は、よく言われた。
 「学会の幹部も、出来の悪い者ほど威張っている。
 本当に信心が透徹して、教学も真面目に研究する者は威張らない」
 そしてまた、幾たびとなく、強く教えておられた。
 「情熱がなくては、物事は動き出さない」

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