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日蓮大聖人・池田大作

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「青年の世紀」の栄光 突き進め! 広宣流布の最高峰へ

2002.7.19 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
2  あの戦時中、わが学会も荒れ狂う弾圧の火に襲われた。その時に、指導的立場にいる年輩の幹部らは師の牧口初代会長を裏切り、次々に退転していった。「牧口の野郎」などと、忘恩の罵声を吐き残していった人の心は恐ろしいものだ
 その無残な敗北者の姿に、牧口先生の弟子たる戸田先生は激怒した。
 保身の老兵など、絶対に信用するな!
 戦後の焼け野原に、ただ一人、決然と立った戸田先生は、若き革命児の出現を待っていた。その熱願の心境を託したのが、あの「同志の歌」である。
  捨つる命は 惜しまねど
  旗持つ若人 何処にか
  富士の高嶺を 知らざるか
  競うて来たれ 速やかに
 私たち若き弟子は、師の前で、幾たびともなく、この歌を歌った。
 師の瞳から、熱い涙がにじみ、こぼれていった。
 歌声に決意の音律が感じられないと、師は「そんな弱々しい声で広宣流布ができるか!」と、我ら青年に向かって烈火のごとく叱った。
 戸田先生は、自分と同じ使命と死を覚悟した広宣流布の闘士をつくり上げたかったのだ。
 ただただ、それが、この世の、そして永遠に消えることなき尊い魂魄であるからだ。
 あの中国革命に戦い、生き抜いた周恩来総理も、ある時、厳しく言い放った。
 「一番いい死に方は、人民を抑圧する者との戦いの中で、撃たれて死ぬことだ。しかし今は平時だ。だから人民のために働いて働いて、尽くして尽くし抜いて、命を消耗させていけば、立派に死ぬことができる」と。
3  あの忘れることのできない一九五一年(昭和二十六年)の七月十一日。
 雨であった。浦然として強い雨であった。この世で初めて出現する、真正の男子青年部の結成式である。
 西神田の小さい学会本部には、土砂降りのなか、約百八十人の決意の青年が集った。皆、生き生きとしていた。そこには、峻厳なほどの深い師弟と同志との連帯感がみなぎっていた。
 祝辞に立たれた我らの師・戸田先生は、開口一番、こう宣言された
 「今日、ことに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会会長が現れるであろう。必ずや、私は、このなかにおられることを信ずるのであります。その方に、私は深く最敬礼をしてお祝い申し上げたい」
 室内は厳粛な空気に包まれ、森々としていた。意外な、虚を衝いた挨拶であった。
 さらに、戸田先生は、指導の最後にも、「今日は、この席から、次の会長たるべき方にご挨拶申し上げ、男子部隊の結成を心からお祝い申し上げる」と、最敬礼され、深々と青年たちに頭を下げられたのであった
 それは、先生と私の、真の不二の師弟で行った結成式でもあった。
 この日、私は二十三歳。ちょうど現在のヤング男子部の諸君と同じ世代である。
 恩師が、固く、深く、青年を信じてくださったように、私も青年の勝利を信じる。
 二十一世紀の広宣流布の全権は、諸君の双肩にかかっているからだ。
 ゆえに青年よ! 一日一日がすべて、一つ一つの戦いがすべて、自身を磨き、鍛え、大指導者となるための訓練と知ってほしいのだ。
 わが師は、仕事がいい加減な青年を、絶対に信用されなかった。
 青年部員の大半は、零細企業に勤め、朝から晩まで汗にまみれる毎日であった。それでも早朝に出勤したり、夜中に職場に戻って働くなどして、必死に学会活動の時間をこじ開けた。仕事も、信心も、逃げなかった。
 その真剣な姿に、上司も、同僚も、やがて信頼を寄せてくれるようになった。
 会合に向かう時は、開始時刻が迫ると、「遅れてなるものか!」と、誰もが自然に駆け足になった。遅れた分だけ、学会の怒涛の前進から外れ、師匠との呼吸がずれてしまうように感じていたからだ。
 いかに大変であっても、要領よく楽をしたいとは、誰も思わなかった。
 それは、この一度しかない青春時代を、偉大なる師匠と共に、広宣流布の使命に生き抜けることを、最高の誇りとしていたからだ。
4  常に、広布途上に巻き起こる多くの邪悪との戦いには、必ず男子部が先陣を切った。
 ──五十年前(一九五二年)の”立宗七百年祭”のことである。
 戦時中、蓮祖を貶める邪義を唱えて軍部に迎合し、学会弾圧の遠因となった悪坊主を総本山で見つけ、厳しく問責したのも男子部であった。
 ところが、宗門の宗会は、戸田先生の大講頭罷免、登山停止などの不当処分を決議したのだ。
 陰険愚劣な坊主どもよ! 青年たちは憤激し、立ち上がった。
 師匠を守れ、学会を守れ!
 男子部は、直ちに、宗会決議の取り消しを求め、反撃を開始正義の対話と言論で、正々堂々、理不尽な学会弾圧をはね返していったのである。
 これがわが男子部の伝統だ。
5  世界の約百八十カ国・地域に活躍する青年が毅然として立ち上がる、輝く「青年の世紀」の太陽は昇った。
 いかなる地位も、名誉も、「若さ」という勲章の前では色槌せる。若いこと、それ自体が偉大なのだ。ゆえに「常に老いたる帝王のうらやむところとなるであろう」(『レ・ミゼラブル』2、豊島与志雄訳、岩波文庫)とは、ユゴーの結論であった。
 わが青年諸君が、若師子のごとく、永遠なる平和の建設の先頭を進む雄姿を、全世界の民衆は待ち望んでいる。
 いかなる障害をも、悠然と乗り越え、進め! そして、また進め! あの栄光の最高峰に、正義と勝利の旗を掲げゆくのは、君たちしかいないからだ。

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