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日蓮大聖人・池田大作

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わが闘魂の勝利城・立川 「広布流布」こそ学会精神

2002.5.31 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
3  一九七九年(昭和五十四年)の四月二十三日の午後、私は、立川文化会館を出て、信濃町の学会本部に向かった。会長辞任の発表のためである。
 何も知らず、会館の前で見送ってくれた健気な同志に、私は一言、語った。
 「何があっても、”みんなの先生”であることに、変わりはないんだよ」
 広布のため、同志のために捧げた命である。私は変わらない。微動だにしない。
 あの”勇退劇”の翌日(二十五日)、私は信頼する友の待つ立川文化会館に帰って、謀略と中傷の矢をはね返しながら、正義の闘争を開始したのである。
 それは、もう度、新しい創価学会をつくり直す覚悟で、一人、また一人と、同志を励ますことから始まった。
 わが師は、「戸田の命よりも大切な学会の組織」と明確に言われた。
 会員は私の命だ。同志を、学会を、邪悪な反逆者どもに蹂躙させてなるものか!
 私は、徹して同志のなかに飛び込んだ。会うこと、それ自体が戦いであり、一瞬一瞬が真剣勝負であった。
 会合の前後の仏間で。ロビーで。会館の周辺で。外出する前に、また戻ってきた時にも、そこに居合わせたメンバーを励まし続けた。創価班、牙城会、白蓮グループの凛々しき男女青年部や、尊き守る会の方々とも、寸暇を惜しんで語り合った。
 家族や仕事のこと、組織のこと……近況に耳を傾け、激励し、握手し、記念のカメラに納まった。その少人数の語らいは、幾百幾千人にも上るであろう。
 私は信じた。この方々が、必ず一人立ち上がり、五人、十人と、正義の波動を広げていってくれることを。
 私は、爛々と二十一世紀を見据え、一人ひとりと師弟の縁を深め、手作りで人材を育成していった。
 そして、見よ! 「悪は多けれども一善にかつ事なし」との御断言のごとく、正義は完璧に勝ったのだ。
4  今年は、立川文化会館が誕生して二十五年──。
 立川は、かつては”基地の町”といわれた。
 その米軍基地が日本に全面返還されたのも、二十五年前(一九七七年)であった。基地の跡地は公園などに変わった。立川は、緑の美しい”平和の町”となってきた。
 私も、立川をこよなく愛する一人である。二十一世紀の理想的な文化都市として、さらなる立川の隆盛を心から祈りたい。
 そのためにも、確かな良識と深き哲学の連帯が、ますます重要となろう。
5  蓮祖大聖人は、「師子の声には一切の獣・声を失ふ」「日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし」と仰せである。
 使命深き立川総区を担う、立川区と昭島区の友は、今日も、師子のスクラム固く、正義の太陽を輝かせる。
 立川こそ「大東京の柱」であり「学会の要」である。
 私は、尊敬する皆様方に、キューバ独立の英雄ホセ・マルティの金言を贈りたい。
 「栄光は後ろではなく、前を見る人にある」
 「偉大な者たちは前進せよ! これは偉大な者たちの事業なのだ」(「キューバ革命党三年目」後藤政子訳、『ホセ・マルティ選集』3所収、日本経済評論社)
 私と一緒に奮い立ち、共戦の歴史を残してこられた立川の勇敢なる同志よ!
 私が魂暁を留めた生命の故郷で戦いゆく、わが誉れの後継の青年よ!
 新世紀の天空高く、勝利と栄光の晴れやかな七彩の虹を、共々に仰ぎ見ょうではないか!

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