Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

トインピ一博士との語らい 二十一世紀へ開いた「対話の大道」

2002.5.4 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
5  私の「世界との対話」は、不思議にも、創価教育への取り組みと共に始まり、その発展と共に広がっていった。
 クーデンホーフ=カレルギー伯とお会いしたのが、創価学園の開校の半年前(一九六七年十月)。そして、トインビー博士との対談は、創価大学の開学の翌一九七二年から七三年にかけてであった。
 創価大学の草創期、私は、いわば「トインビー大学」の学生でもあったのだ。
 二年ごし、のべ四十時聞にわたる対談を終え、私が成績を伺うと、「最優等の『Α』(ギリシャ語)を差し上げます」と言われた。
 また、私が個人的な助言を求めると、「私が忠告するなど差し出がましいことである。私は学問の世界の人間であり、あなたは行動の人だ」とおっしゃった。
 さらに博士は、「二十一世紀に向かって、このような対話をして、渦を巻いていっていただきたい」と、私に伝言されたのである。
 当時は「米ソ冷戦」「中ソ対立」の時代である。トインビー博士と対談して以降、私はこの米中ソ三国も相次いで訪問した。
 いずこの地にも「人間」がいる。ならば、「対話」こそ不信の氷壁をとかす、人間の道であると信じたからだ。
 ことに、私の初訪中の直前には、博士は「日本のためにも、中国のためにも、いな、全世界の人びとのためにも大きな意味をもっている」と、期待を寄せてくださった。
 一九七五年(昭和五十年)の春には、創価大学の一期生が巣立った第一回卒業式を終えて間もなく、私はフランスを舞台に「対話の渦」を巻き起こした。
 お会いした一人は、トインビー博士から紹介していただいたローマ・クラブ創設者のぺッチェイ博士であった。また、作家のマルロー氏、美術史家のユイグ氏らがおられる。
 その間隙をぬって、私はロンドンへ飛んだ。遂に完成した対談集『二十一世紀への対話』を、トインビー博士にお届けするためであった。
 博士は病気療養中で、お目にかかれなかったが、秘書の女性に対談集を託し、創価大学の「名誉教授」の称号を博士に贈らせていただいた。
 この年の秋、対談集の完成を見届けるかのように、博士は永眠された。八十六歳であられた。
6  トインビー博士は、対談中、「あなたは私以上に、世界中から名誉博士号を受けることでしょう」と言われた。奇しくも、私が「第一号の名誉博士号」をお受けしたのは、トインビー博士に対談集を届けた直後に訪問したモスクワ大学からであった。
 以来、今日まで、「知の勲章」である名誉博士号などの受章は、百二十四を数えた。そのすべてを、私は偉大なる”トインビー先生”と共に分かち合いたい。
 私たちの対談集『二十一世紀への対話』は現在、二十四の言語で出版され、民族や宗教の壁を越えて世界中で読み継がれている。
 私が世界の識者・指導者と行った対話は、主なものだけでも千五百回を超えた。
 「対話を! 未来のために対話を!」──それが、私がトインビー博士から託された生涯の使命だ。
 ゆえに私は、今日も対話を続ける。対話こそ、私の生命そのものであるからだ!

1
5