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日蓮大聖人・池田大作

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「釈尊の対話」に学ぶ 正義を語れ 叫べ 人間の中で!

2002.3.8 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
4  実は、「どんな人とも平等に話ができる」こと自体が、当時のインドでは、驚天動地のことであった。
 それまでのインド社会は、バラモンを頂点とするカースト制度によって、人間が分断されていた。身分や階級が違えば、心の通った交流など、不可能だったのである。
 ところが釈尊は、身分等で全く人を差別しなかった。
 たとえば、卑賎な身分の出として、侮蔑されていた人が弟子になった時にも、釈尊は最上級の敬語をもって、彼を歓迎したのである。(『仏弟子の告白』中村元訳、岩波文庫、参照)
 諸行無常なるこの世にあっては、生老病死の苦悩から誰人も逃れられない。国王であろうと、市井の庶民であろうと同じである。
 釈尊が、常に見つめていたのは、この「人間」の真実であった。
 ある時、久しぶりに釈尊の会座にやって来たコーサラ国の王が、”最近は国事のためにい忙しくて……”と口にした。
 すると釈尊は、”天に届くような岩山が国を襲い、もはや逃げられないと観念するしかなくなったら、あなたはどうしますか”と尋ねた。
 王は言う。”そうなれば、どんな権力も役に立ちません。せめて限られた時間、善事を為すのみです”
 ここで、釈尊は、この岩山とは、「老い」と「死」のことであると語るのである。(『ブッダと神々の対話』中村元訳、岩波文庫、参照)
 人間として、いかに生きるべきか? この真実の道を、多くの人びとと共に探求する手段こそ、釈尊の「対話」だったのである。
 妻が信仰することに反対し、釈尊に文句を言いに来た夫も、つむじ曲がりの男も、釈尊に会うと、謙虚に人生を見つめる目を取り戻した。
 ある日には、田を耕していたバラモンが、釈尊に”私が額に汗して耕し、種を蒔くように、あんたも働いたらどうだ”と皮肉を言った。
 ”ええ、私も耕し、種を蒔いていますよ”──釈尊は、驚くバラモンに語る。
 ”信仰が種であり、智慧が耕す鋤です。この耕作は私を憂いなき心に運ぶのです”(同前、参照)
 農作業で苦労している者の心底に染み通る、絶妙の譬喩といってよいだろう。
 ある時、亡くした娘の名前を呼び、林の中で泣き叫んでいた一人の母がいた。
 ”母よ、あなた自身を知りなさい”
 釈尊は、彼女に、あのソクラテスと同じ言葉を投げかけ、諄々と語っていった。
 ──母よ、この林には、あなたが呼んでいたのと同じ名前の娘が、多数、葬られているのだよ。あなたが呼ぶのは、どの娘なのか。
 その一言は、悲しみに囚われ、孤独に陥っていた彼女の胸を打ち、”同じ苦悩をかかえているのは、自分一人ではないのだ”と気づかせた。
 「ああ、あなたは、わが胸にささっている見難い矢を抜いてくださいました」
 彼女は、涙を拭い、毅然と立ち上がったのである。(『尼僧の告白』中村元訳、岩波文庫、引用・参照)
 釈尊の対話は、千差万別の機根の人びとに即して、種々の因縁、種々の譬喩をもって広く言教を演ぶ」といわれる通りの説法であり、まさに”芸術”であった。
5  このように、仏教は「対話の宗教」であり、それゆえに「人間の宗教」であった。
 君よ、快活なる「対話の達人」たれ!
 雄々しき「正義の言論の戦士」たれ!
 それは、二十一世紀という「対話の時代」を切り開く、人間主義者の栄冠なのだ。
 「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし
 さあ、赤々と対話の炎を燃やして進もう!
 仏教に深い関心を寄せたトルストイは言った。
 「一本の蝋燭が他の蝋燭に点火し、数千本の蝋燭が一本の蟻燭で燃えつくように、一つの心は他の心に点火し、数千の心もただ一つの心によって火をはなつ」『一日一章 人生読本〈10~12月〉』原久一郎訳、社会思想社)

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