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日蓮大聖人・池田大作

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新しき力新しき闘士 涌出せよ! 新しき力 新しき闘士

2002.2.26 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
2  「二月革命」は、当時のフランス政府の悪政に対して、生活苦にあえぐ民衆の怒りが爆発したことから始まる。
 二月二十二日、激しいデモが起こり、二日後の二十四日には、民衆はパリの市庁舎などを占拠。さらに、議会にも立ち入り、「共和政」を要求するに至っている。
 ──この二十余年後に火災で焼失し、再建された今のパリ市庁舎で、一九八七年、私は、シラク首相(パリ市長兼務。後の大統領)と会見した。二十一世紀の「平和」と「文化」の道を語り合ったことが懐かしい。
 「二月革命」にはさまざまな評価があるが、最大の改革は、王政から共和政への移行に続く、普通選挙制の導入であったといわれる。
 その結果、それまで二十五万人であった有権者は、九百万人にまで拡大された。
 まさに「民衆の声」が時代の闇に閃光を放ち、新時代を告げたのだ。
 新しい力は、民衆のなかにある。その希望と創造のパワーを引き出すことだ。
 それが、二十一世紀を正しく導く唯一の方途であると、私は信じている。
3  思えば、五十年前(一九五二年)の蒲田支部の「二月闘争」も、一つの「革命」であった。
 当時、戸田先生は、明確に「『組』が焦点だ!」とおっしゃっていた。「組」は今の「ブロック」である。
 ところが、多くの幹部は、心のどこかに、”「組」では戦えない。組長は信心が新しいし経験も、力もない”という先入観があった。
 だが、私は、先生が示された広布の指針には、必ず深い意味があると直感した。
 弟子が、師と心を一つにして戦ってこそ、師弟は不二となる。私は、師の一言一句、軽々に聞き流すことは絶対にできなかった。
 「組」中心とは、いかなる戦いなのか?
 私は真剣に悩み、思索し、祈りに祈った。
 私が出した結論は、支部」に従属するというような発想を変え、むしろ「組」が「地区」「支部」に従属するというような発想を変え、すしろ組織あげて「組」を支え、応援するということであった。
 発想の革命であり、組織を貫く思想の革命である。
 組長は信心が未熟だ、経験が浅いというなら、真剣に励まし、育成すればいいではないか! そのための組織ではないか!
 最前線に、陸続と「新しい闘士」が育っていかなければ、どうして広宣流布できようか。
 皆が”主役”となってこそ、民衆の革命ではないか。
 徹して「一人」を大事にするには、むしろ「組」中心の活動こそふさわしい。
 大きい会合だと、幹部の話も一方通行になりがちだが、「組」なら、じっくり対話ができる。
 幹部は人を集めることで、よしとするのではなく、自らが第一線に飛び込み、「直接一人ひとりに会う」ことだ!
 新しい人材を見つけ、新しい人材を育てる道は、一対一の対話で、激励・指導を積み重ねる以外にない。
 私は、自ら「対話」と「激励」の闘魂となって、蒲田支部中を走りに走った。
 ある時は、同志の前に立ってリードし、ある時は、並んで肩を組み、またある時は、わが友の後ろから背中を押してあげながら……。
 そのなかで、新しい力が、新しい顔が、生き生きと活躍し始めた。その歓喜がまた、怒涛の勢いを生んだ。
 そこには、停滞も、行き詰まりもない。無限の広宣流布の発展がある
 の結果が出た。「
 やがて「二月闘争」の結果が出た。「弘教二百一世帯」という空前の拡大で、それまでの壁は、木っ端微塵に打ち砕かれたのである。
 また、「一人を大切に」という仏法の人間主義を、師の構想の正しさを、赫々と宣揚できたことが嬉しかった。
4  革命の大波は、千波万波と拡大する。
 フランスの「二月革命」の炎は、瞬く聞にドイツ、オーストリアへ飛び火し、「三月革命」が発生さらに、イタリアをはじめ、チェコ、ハンガリーでは、民族独立運動が本格化していった。
 「革命の年」といわれる、この一八四八年は、「諸国民の春」とも呼ばれる。
 われらの「二月闘争」も、「三月闘争」、さらに「四月闘争」へと、民衆勝利の潮流を拡大していったこの方程式は今も変わらない。
 「さあ、哲学者たちよ」と、ユゴーは叫んだ。
 「おしえよ、知識を与えよ、燃えたたせよ、考えていることをかくさず言え、大声で話せ、白日のもとを嬉々として駆けよ」「思想の竜巻を起こせ」(『レ・ミゼラブル』2、辻昶訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』3所収、潮出版社)
 慈悲と正義の宝剣を持つ、創価の哲人たちよ! 竜巻のごとく、いよいよ語り抜け、叫び抜け、走り抜け!
 栄光と歓喜に輝く、新しき「創価の春」を開くのだ!

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